開催都市

高校の保健体育で、オリンピックの歴史を習いました。開催するのは国家ではなく都市である、とよくよく念を押され、学期末試験にも「開催するのは誰か」という問題が出ました。国家の利害や対立を超え、平和の理念を実現するための知恵だと聞いたような覚えがあります。

それゆえ開催決定のイベントに、ゲームの主人公に扮した首相が登場した時は、大きな違和感がありました。そしてまた今回、マラソンは札幌でやることに決めた、というIOCの突然の表明。???をいかんともしがたいのです。説明が足りない。費用を持つのは、東京都民と(助成金を出す)日本国の国民です。今までにかかった暑さ対策、これからかかる札幌会場整備、その費用の合計は当初予算の枠内に収まるのですか?

選手第一というなら、そもそも欧米の人気競技TV中継放映権に左右された、開催時期から見直してほしい。東京の8月が暑さと湿気で大変なのは、最初から分かっていたことですから。徹底して蚊帳の外に置かれた都知事も、つまらぬあてこすりを言っている場合ではない。大震災復興を謳った当初のスローガンから言えば、東北地方でもいいのだし、いっそ箱根でやってもよかったか、と。

誘致の中心だった元首相も、経団連も、他人事のように、札幌でもいいだろう、と言う。誰も彼も無責任ににぎやかごとを歓迎する風ですが、本来の主役であるはずの選手や観客や納税者は、こんな待遇でしょうか。第一、60年前の期末試験で、「国」という選択肢を選んでバッテンを貰った人は、いま納得できますか。