西源院本の書き入れ

和田琢磨さんの論文「点描 西源院本『太平記』の歴史―古写本から文庫本まで」(『古典の未来学』文学通信)を読みました。本ブログの4/25欄で取り上げた「西源院本『太平記』の基礎的研究―巻一・二十一の書き入れを中心に―」(「国文学研究」190)の続稿です。西源院本『太平記』は古態本として注目され、これまでに翻刻、影印、校訂本が4回も出されていますが、原本は火災で焼損し、大正年間の「影写」本で代用してきたのでした。

しかし「影写本」は実際は臨模本で、巻によって書写の態度が異なり、原本の書き入れや抹消を区別せずに本文として扱っている、と和田さんは指摘しました。しかも水戸の修史事業(『参考太平記』編纂)に貸し出された際に、傍書の一部を塗抹したらしいが、その点も臨模本ではよく判らないという(彰考館の修史作業がこんなことをやったとは、私には驚愕でした)。昭和11年刊行の翻刻(鷲尾順敬校訂 刀江書院)は、昭和10年の楠公没後六百年を機に鳴り物入りで急いで企画されたため、原本と比較せずに「影写本」を使用したのでは、と和田さんは推測しています。そして、つい最近岩波文庫で出された『太平記』も、臨模本の西源院本を底本に採用し、さらに現代の読者向けに表記など手を加えており、新たな平成校訂本文として通用することになりそうだという。

大学院時代、私も刀江書院の『西源院本太平記』を古書店で買い求めたのですが、見たところ、古態本と言うには夾雑物の多い本文だな、という印象を持ち、『太平記』を論じるのに使うことを躊躇ってきました。複雑な事象をこれだけ要領よくまとめた和田さんの手際に感服、目下、源平盛衰記の伝本研究で悩まされているところなので、大いに共鳴しました。本文の評価や校訂には、用心深い(猜疑心に満ちた)眼が必要です。