荒木浩編『古典の未来学』(文学通信)という本が出ました。2016~19年度、国際日本文化研究センターの共同研究「投企する古典性―視覚/大衆/現代」の成果を中心とする、872頁の大冊。執筆者は論考・コラム合わせて43人に及び、版元の文学通信が「出版社の立ち上げと、これから」と題して財務諸表を載せているのも異色。
編者は「投企」という語を便利に使って(ときにはやや強引に)、多彩な分野、多様なテーマを盛り込みました。その結果、なるほど今後はこういう研究も、国文学とか古典とかいうジャンルを超えて展開してくるのかもしれない、という気にさせられます。Ⅰ投企する古典性(1古典を見せる/活きる、2古典との往還、3古典を問う/学ぶ、4古典を観る/描く、5古典を展く/翻す、6古典と神話/古典と宗教) Ⅱ特論(1投企する太平記、2日本漢文学プロジェクトから) ⅢProjecting Classicism in Various Languages という構成ですが、私が最も関心があったのは、Ⅱ-1の『太平記』シンポジウムでした。
5本の中4本は、現地で発表(2018/11/17)を聞き、井上泰至さん「『太平記』の近世的派生/転生」、伊藤愼吾さん「以津真天の変容」は満腹感がありました。亀田俊和さん「『太平記』に見る中国故事の引用」は、歴史学よりもむしろ国文学の方法に近いが、『太平記』の編纂過程については今後議論が必要でしょうし、作者・読者が長大な説話そのものを楽しんだ、という観点も持ちたいと私は思うのです。
最近話題の「太平記史観」批判については、論者自身が『太平記』の述べる史観と、『太平記』記事から読者の心中に醸成される史観とを、十分区別できていない場合があるなあ、と思います。和田琢磨さんの「点描西源院本『太平記』の歴史―古写本から文庫本まで」は大いに身につまされたのですが、軍記物語研究の現在にとって重要な提言なので、項を改めます。そのほかの面白かった論についても別途、後日に。