建礼門院右京大夫集

日記文学会中世分科会編『『建礼門院右京大夫集』の発信と影響』という本が出ました(新典社 2020/12)。後記によれば、日記文学会の分科会として中世日記、中でもあまり研究の進展を見ない『建礼門院右京大夫集』の輪読会を、2009~13年にかけて7名で開催、その成果に基づき、幾つかの視座を決めて編んだ論集だそうです。

ある年代までは私も、平家時代の文学として『建礼門院右京大夫集』の研究をチェックしていました。次第に忙しくなるにつれ、不本意ながら自分の研究分野が狭まり、暫くこの作品の論文を読んでいなかったのですが、目次を見ると、あの頃も『建礼門院右京大夫集』を論じる際には必ず問題になっていた、無類の不幸意識、七夕歌群、紙への関心、物語文学との関係、題詠歌群、出自意識が取り上げられていて、懐かしさと共に既視感に襲われました。しかしやはりこの間、研究の姿勢には変化があったようです。

本書の圧巻は、中村文さんの「交響する虚構と実状ー『建礼門院右京大夫集』「題詠歌群」の機能ー」でしょう。『右京大夫集』には前半部に40首の題詠歌、後半部に51首の七夕歌が塊となって並び、日々の実体験に即して詠み出された日記的な部分との関係が問題になっていました。中村さんは題詠歌の題、詞、主情、配列を丁寧に点検し、実情詠と題詠とが別次元のものではないこと、本作品は両者が意図的に組み合わされて構成されていることを解き明かします。作者は資盛との恋愛を漠然とした言辞でまず語り、他者の恋愛等を喩として提示し、虚構の題詠歌を取り合わせて、一つの事態を表そうとした、経験を客観的に捉え組み立て直す「編集」作業によって、悲嘆を相対化し乗り越えていく営為なのだと、中村さんは言います。「我々はもうそろそろ、『右京大夫集』という作品を、「愛と追憶の書」という亡霊から解放してもよいのでは」という結びに、喝采