萱草に寄す

中西達治さんから、藪萱草の花の写真を刷った葉書が届きました。文面には、

「拝啓 梅雨のさなかに咲くワスレグサ、俗に藪萱草と呼ばれています。古代中国で忘憂草とされ、大友旅人は大宰帥に左遷されたとき、わすれ草わが紐に付く香具山のふりにし里を忘れむがため と詠いました。息子の家持は、従姉妹の大友坂上大嬢に 忘れ草垣も繁みに植えたれど醜の醜草言にしありけり 忘れられないじゃないかと、ワスレグサをなじって激しい恋情を伝えました。」とあり、最後に立原道造の『萱草に寄す』から、14行詩「のちのおもひに」の1節が引いてありました。

なつかしいー思わず書庫の奥から、いつか読もうと買ってあった「国文学解釈と鑑賞別冊 立原道造」(2001)と、辛うじて残しておいた『立原道造詩集』(角川文庫14版)を引っ張り出しました。15歳の時に買った文庫本です。もう活字がにじんでいます。「のちのおもひに」は暗誦できるほど読み返しました。中西さんは、「そして私は、見て来たものを(中略)だれも聞いてゐないと知りながら 語りつづけた・・・」という第2節を引いていますが、私は「夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへつた午さがりの林道を」という出だしと、「夢は そのさきには もうゆかない なにもかも 忘れ果てようとおもひ 忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには」という第3節が好きでした。

藪萱草は伸び始めた夏草の中から、濃いオレンジ色の花を覗かせます。以前は上智大学の見える、JRの土手に咲きましたが、今はどうでしょうか。春先には芽を摘んで、和え物や天麩羅にします。甘みがあります。立原道造を読みながら初夏の風を感じるロッキングチェアー夢見た老後は、あまりに遠い。