ヌエ考

沖本幸子さんの「ヌエ考―怪鳥の声をめぐって―」(松岡心平編『中世に架ける橋』 森話社)を読みました。以前、研究発表の形で聞いたものですが、要領よくまとめられていて、面白く、また爽快に読むことができました。

ヌエは現代では、正体の掴めない怪物の比喩としてイメージされていますが、古典文学の中では実際の鳥の名なのか、怪物の名なのかが曖昧です。有名なのは『平家物語』にある、源頼政が闇夜に怪物ヌエを射落とし、近衛天皇を病から救ったという説話で、これは『十訓抄』にもあり、さらに世阿弥が能「鵺」に仕立てています。ところが『平家物語』は二条天皇の代にも同様の事件があったとし、こちらではヌエは鳥になっています。一体、ヌエとは何者なのか。

沖本さんは、現在ヌエは、トラツグミという鳥だとされていることを述べ、『万葉集』や古辞書類、『袋草紙』『玉蘂』には冥界と通じた(不吉な)鳥とされていたことをまず辿りました。そして長門本平家物語』や『源平盛衰記』に見える清盛鵺退治の逸話には、鵺の正体が「毛朱(鼠の唐名)」とあることに注目、浅川善庵が「毛未(ムササビ)」の誤りだろうと考証したことを引いた上で、『殿暦』や『看聞日記』などの史料を参照し、中世・近世を通じてヌエの正体は判っておらず、夜飛ぶムササビをヌエという怪物だと考えていたのではないかと結論づけています。

納得できる論です。長門本の記事の不審もこれで解けました。一方で、能「鵺」の舞台を観た時に抱く、世阿弥はなぜ鵺を主人公にしたのだろう、という名作ゆえの疑問は、私の中でより大きくなりました。