長門切「三十騎には」

平藤幸さんの論考「新出『平家物語長門切の紹介と考察」(「国文鶴見」58号)を読みました。この度鶴見大学図書館蔵となった、5行の長門切の翻刻とその考察です。源平盛衰記巻35「粟津合戦」の一部、既出の切(鶴見大学図書館蔵「名乗て懸出」の数行前に続く部分らしい。概ね源平盛衰記の本文と一致するものの、部分的に長門本に近い点もあるようです。

現存する長門切には何故か義仲関係記事の箇所が多く、それが何を意味するのか、私にはずっと気になっていることです。読み本系平家物語の合戦記事では、頼朝や義仲配下の武士たちの名が具体的に記され、しかし現在の我々からはその伝が十分追跡できない例が多い。このことが事実との近さを示すものなのか、逆なのかは、平家物語の成立に関わる問題でもあります。

鶴見大学の日本文学科は昨年、開設60周年を迎えたのだそうで、本誌はその記念号、和歌に関する論文や資料紹介が満載です。中川博夫さんの「中世和歌の「そぢ」覚書」は、中世文学で「六十路」とか「七十路」と言った時は何歳を指しているのか、という考証で、まとめに述べられた内容は概ね妥当だと思いますが、もともとその文脈の中で決まる性格の語なのでしょう。殊に「路」という語を含んでいるので、ある年齢の前後の過程が意識されており、その時期の境涯そのものを背景に持つ場合もあるかと想像します。例えば39頁下段に引用されている久保木哲夫さんの論、俊惠の七十賀に賀茂重保が詠んだ「いのりかさねて行末も猶ななそぢの」という歌は、さらにもう70年後の春を、という意味なので、今後の70年という過程(行末も猶)を意識していることになります。

中川さんはこの春御定年だとか。(自分の事は棚に上げて)歳月の速さを実感します。