体験的電子事情・後編

1980年代半ばくらいから、自分でPCを学んだ人たちの威勢がよかった時期がありました。自前のHPを持たない人をホームレスと呼んだりして、職場でもデジタル派とアナログ派のひそかな対立がありました。

我が家では電子手帳や電子時計などの試作品が持ち込まれ、いつも私に下げ渡されたので、取説を読みながらいじっていたため、恐怖感はありませんでした。鳥大助教授時代、入試判定のデータを電子媒体で提出することになり、責任者になる教授たちに、「録音テープとタイプライターが合体したようなものです」と説明しました。

しかしPCを自力で設定しようとすると、取説が意味不明の用語だらけで1歩も進めない。「プラグをコンセントに挿して」などという説明からいきなり、拡張子だのドメインだのという言葉が何の説明もなく並ぶ。諦めて、得意な人に頼ることにしました。しかもどうやら、この分野は遅い者勝ち。無理をしないことにしたのです。

名古屋で図書館長を務めたら、強制的にITの講習を受けさせられました。その際、電子メールの歴史には電電公社系と郵政系とがあって、様式が違うのだと知りました。まず自分の名乗りから始めるのが電電公社系です。職員の間でも電子派と非電子派の反目がありましたが、ある時、科学技術先端大学で雑誌をベルトコンベアに載せて両端を剪り落とし、スキャンして電子化する光景を見学してきた電子派の急先鋒が、あれは本学にはなじまない、と言ってから、うまく行くようになりました。

やがて入試問題や会議資料はすべてPC作成になりました。自分の仕事でも、原稿はデータ提出でないと変人のように見られそうで、作業量が増えました。つまり印刷屋の仕事がそのまま、手許に乗ってきたのです。