郁子

敷地内で獲れたから、と郁子(むべ)の実が配られました。最近の植木屋は手間のかからない(葉が落ちない、虫や鳥が寄ってくる花実がつかない)、つまり季節感のないトネリコヒイラギナンテンなどを植えたがりますが、ここでは楊梅や郁子をそっと植え込んであったらしく、最近は実の熟す頃に希望者に配られます。食べられることを知らない人も多いようですが、見た目にも画材にもいいので、貰ってきました。

郁子は女性の名前ではありません。辞書を引くと、「郁」には「芯のない果物」という意味があるらしい。熟すと葡萄茶色になるのですが、鳥たちがつついてしまうので、配られたのは色鉛筆で彩色した程度の薄紫で、握ると柔らかい、卵形の実です。仏壇に上げておいたら、色が濃くなってきました。通草(あけび)と同じように、中身の種子を包むゼリー状の部分を食べる(というより、しゃぶる)のですが、薄甘い、ぬるぬる感を舌先でちょっと味わったら、もうおしまいです。

調べると、天智天皇が蒲生野に狩りに出かけた際、地元の老人が不老不死の果実として献上したとの伝説にちなみ、近江八幡の神社から毎年、皇室へも献上されているとのこと。天皇の料理番回顧録によれば、天皇の食事は、皿の上の物はすべて食べられる、というきまりなんだそうで、郁子はどうするのかなあ、と思いましたが、ピューレなどに加工して出すのでしょうね。姿形はお見せしないのかしら。

通草は果皮も料理して食べるそうなので、これも削ぎ切りにして水にさらしてみました。生では苦い。今夜、茄子と一緒に味噌炒めにしてみます。子供の頃、零落した屋敷の生垣に通草を見かけましたが、室尾犀星の小説で、通人が庭に植えたがるものだと知りました。新芽に包まれて咲く紫の花(郁子の花は白)は、意外にしゃれています。