さきの大戦中に育った世代には、甘藷と南瓜はもう一生分食べた、と言って口にしない人がいます。私もそれに近い感覚かもしれません。現代の甘藷はお菓子のように甘く、スイーツとして加工すれば極上の食材なのですが、どうも高級感がない。当時、昼食に連日のように出されたふかし芋は、びしょびしょして、繊維が多く、食後は胸焼けやおならに悩まされました。爾来、どうしても代用食のイメージがぬぐえないのです。
戦中戦後、食料調達のために農家を訪ねることを買い出しと言い、インフレが激しいので現金は嫌がられ、大事にしていた着物や貴金属などを引き換えに、南瓜や甘藷を入手したのです。空地があれば自家用に南瓜を作りました。広く大地を這い回り、毛むくじゃらの葉陰に大きな黄色の花を咲かせ、ごろごろと実がなります。種を捨てればぞっくり芽が出てスプラウト状態になり、勿体ないと思った祖母が、試食したけど産毛が舌に触って美味しくなかったと言っていました。
南瓜は甘辛く煮て、晩のおかずによく出ました。皮が固く、沢山食べる気にはなれないのですが、出されたおかずに否応を言う権利は子供にはありませんでした。それゆえ薄切りにして天麩羅にするとか、小南瓜を刳り抜いて肉詰めにするとか以外は、どこか貧相な記憶が残っているのです。猫殺しの六部が、猫の死骸の目から生えた南瓜に当たって死ぬという昔話が怖くて、さらに敬遠するようになりました。
でも西瓜や南瓜の種子を干して香ばしく炒ると、美味しいつまみになります。チップスも美味しい。マッシュにして生クリームや干し葡萄・アーモンドスライスなどをトッピングしたり、ポタージュスープにしたり、今は南瓜の楽しい調理法がたくさんあります。何よりも、シンデレラの乗った馬車は、南瓜でしたね。