雲丹

年末に下関から雲丹が届き、正月は贅沢な気分でした。父方が博多出身の我が家では、かつては郷里からの手土産だった、独特の厚手硝子瓶に入った雲丹の塩漬です。子供の頃は苦手でした。父と正月のお客たちは浜田庄司作の黒い小皿にちょっと載せて酒肴に、家族は熱々の白飯に載せて頂くのですが、子供にとっては、アルコールや雲丹独特の匂いがなじめなかったのです。しかし今は、雲丹をちびちび舐めながら呑む日本酒は、よくぞ日本に生まれけり、だと思うようになりました。

父は戦後すぐ、青森へ出張した時に、宿の朝食に丼一杯のオレンジ色の物が出され、南瓜だと思って箸をつけなかったら、女将から「ウニはお嫌いですか」と訊かれて、今思い出してもあれは惜しい、と言っていました。戦中戦後、甘藷と南瓜が主食代わりだった時期があって、彼の世代には、甘藷と南瓜はもう一生分食ったから食わない、という人がよくいたのです。当時は流通ルートがなく、生ウニは地元で大量消費するしかなかったのでしょう。博多でも、雲丹と言えばアルコール処理をした塩漬(練り雲丹)でした。

生のウニが寿司屋で食べられるようになった(高価だけど)のは、いつ頃からだったでしょうか。鳥取在住時代、同僚に連れて行かれた倉吉の大衆食堂のウニ丼は、米飯が見えないくらいウニが山盛りで、感激しました。生ウニはレモンを絞っただけでも美味しい。

学部時代、一般教養の化学の女性教官が、ライフワークとしてやってきたウニの角の色素分析について楽しそうに語り、ほんものの学者の姿を見せて貰った記憶として心に残ったことは、かつて大学の入学式で歓迎講演として話しました。ウニにもいろいろ種類があって、殻の角(棘)1本がパイプくらいあるものもいるらしい。

下関の唐戸市場には、ウニソフトクリームというB級グルメがあり、結構いけます。