山城便り・秋の和菓子篇

京都郊外で暮らす錦織勤さんから、今年は自家菜園の甘藷が不作だった、とメールが来ました。つるぼけという現象だそうです。

【近くの和菓子屋さんで、栗蒸し羊羹が店頭に並ぶようになりました。秋を感じさせる和菓子で、いろいろな店を食べ比べています。小さいころ、小遣いの5円玉(札だったかもしれません)を握りしめて、近所の駄菓子屋に行き、生菓子を買って食べていたという話をしたら、鳥大の同僚から不思議な顔をされたことがあります。小遣いで生菓子を買うなどということは経験がない、そもそも幼時に和菓子なんか殆ど食べたことがない、というのです。自分は普通だと思っていたことが普通でなかったことに驚かされ、松江の和菓子文化圏で育ったことを再認識させられました。

しかし京都・金沢・松江は同水準と思っていたのが、京都のみならず金沢とも差があったことを近年認識しました。金沢はかなりハイレベルですが、松江はいま一つです。】

錦織さんは出雲出身。松江から出雲にかけては茶道が普及していて、和菓子文化が盛んなのです。京都は、商品を新聞紙でくるんで渡すような店でも、和菓子、殊に餡ものが美味しい。外れがありません。地元民の口がうるさいのでしょう。

博多もごく普通に和菓子屋があり、叔母の思い出話によれば、夕方になると近所の菓子屋が子供たちに、どれでも1つずつ食べていいよ、と言ってくれた(当時生菓子は保存できなかった)そう。叔母や叔父は見た目の綺麗な物を選んだが、長男だった私の父はいつも、最も高級品を選んだそうで、どうして判るのかと菓子屋が呆れていたとのこと。

京都の和菓子は形も美しいはず、写真を送ってくれと言ったら、残念ながら栗蒸し羊羹は胃にこたえるようになってしまったと返信が来ました。食べ過ぎだろう。