甘藷栽培の普及

在外日本学関係資料紹介で活躍している辻英子さんから、1冊の本が送られてきました。中林賀一郎著『朝鮮に於ける甘藷栽培の実際』、開封した瞬間何かの間違いではないかと思ったのですが、巻末の「覆刻に寄せて」を読んで、事情が分かりました。

中林氏は辻さんの父君、付載の自筆年譜「歩みの跡」によれば明治37(1904)年群馬県に生まれ、群馬の農林学校及び京城師範学校を卒業後、朝鮮半島で教員となり、召集されて入隊後3日で終戦ソ連軍の進駐に遭い、日本へ引き揚げて後も教育に携わり、昭和46(1971)年に死去したとのことでした。昭和10(1935)年に、北限に当たる朝鮮半島での甘藷栽培普及のために本書を刊行、絶版になっていたものの、長女の辻さんが大英図書館で歓談中に、日本敗戦後の食糧難を救った甘藷の話が出て、本書の寄贈を懇望されたことをきっかけに、今回汲古書院のオンデマンドで覆刻したとのことでした。

子供の頃昼食に決まって出たふかし芋は、水っぽく繊維だらけで、惨めな食物でした。まだしも塩とバターをつけて食べる馬鈴薯の方が食事らしい。南瓜と甘藷はもう食べたくない、という年代があることは周知の事実ですが、私もそれに近く、永いこと敬遠する食材でした。焼き芋もよく女子をからかう材料にされ、買うところを目撃されたくないものだったのです。しかし現在の甘藷は甘く香り高く、別物のようになりました。

救荒作物として普及を図った甘藷は、今や韓国でも、ソウルフードのキムチ同様の食材になったそうで、あの時代、各人が目前の使命に勤しみ現地に遺してきたものが、それと知られぬほどに根付いて喜ばれていることに、ほっとする気になります。

一方、「歩みの跡」末尾に辻さんが注記した逸話に思わず息を呑みました。戦争は決して起こしてはならない。かけがえのない人生、行く先も知らずに行進させられてたまるか。