天正本太平記

李章姫さんの「天正本『太平記』の記事構成と霊剣」(「法政大学大学院紀要」82号)と、「天正本『太平記』巻27「諸卿意見被下綸旨事」における漢楚合戦記事をめぐって」(「日本文学誌要」95号 2017/3)を読みました。

太平記の諸本は平家物語の場合に比べると、作品の根本に関わる異同はさほど多くなく、平家物語で言えば語り本系内の異同程度のように見えますが、中で天正本のグループだけは、記事の有無だけでなく作品の構成にまで及ぶ異同が少なくなく、割り切ってしまえば、太平記諸本は古態本・流布本グループと天正本グループに二大別出来る、と言えるかも知れません。

かつては天正本を史実寄りに改訂された本、佐々木氏など特定の一族と関係ある本、と見る評価が主流でしたが、近年は天正本独自の意図を読み解く試みが盛んになっています(天正本を底本とした、校注付きの『太平記』は、小学館の新編日本古典文学全集に全4冊で収められています)。

李さんの論文の前者は、天正本巻22,23(太平記はもともと巻22のない本が古態とされ、巻22を有する本は巻立てを操作している)の記事構成を古態本と比較し、その相違は、単に天正本が時間的順序を重んじただけでなく、剣の威力を信頼し、衰退、回復、正統性を示す力を持つものとして歴史の展開に関わらせていく指向を持っていることによる、と指摘しています。面白い読みだと思います。剣の象徴性だけでなく、天正本にはほかにも同様の指向は見いだせないのか、考え続けて欲しいと思いました。

日本語が明晰で、論文構成もきちんとしている有望株です。軍記物語講座のために太平記三本記事対照表を作成、論文の種子がたくさん得られたはずで、続稿を期待します。