震災体験・緊急対応篇

東北大地震の日、春休み中でしたが大学構内には、800人ほどの学生がいました。地域指定の避難所は隣の大学だったのですが、不安を感じた近所の住民がとりあえず訪ねて来るのを受け入れました。防災備蓄の乾パンと飲料水を提供したのはよかったのですが、賞味期限が過ぎてから3年(!)経っていたので、こんなもの食べて大丈夫ですかと訊かれたそうです(現在はちゃんと更新しています)。後日、同窓会の山形支部へ講演に行った際にその話が出て、支部長が、うちの息子に訊いたら、美味しかったよと言ってました、とのこと(さすが支部長の息子です)。

翌朝は学長の要請で、食堂業者が米飯と味噌汁を無料で振る舞ったそうですが、私はそれ以前に帰宅しました。今後、一定規模のマンションなどは、ああいう大災害に備えて、備蓄品を少し多めにしておく必要があるのではないか(殊にアパートの多い地域では)と思います。

従兄の息子が福岡から転勤してきたばかりで小石川に住んでいましたが、その日は休暇だったのに、わざわざ新宿の会社まで歩いて様子を見に行き、居酒屋で一晩過ごしたと言うので、安全な小石川から危険な新宿まで出かける気が知れない、と言ってやりました。都庁へ行ってみたら、ホームレスを警戒して水も毛布も出さず、エントランスの床に段ボールを敷いただけで帰宅困難者が休んでいたそうです。都知事はJRの入場制限を激しく非難していましたが、ホームからの転落事故を防ぐにはやむを得なかったでしょう。

従兄の子は、大学へ電話して私の安否を訊いたのに、教員のことなんか分からない、と言われたそうで憤慨していましたが、職員は2日間で、1万人の学生の1人1人に電話確認をしたのです。教員の安否どころではありませんでした。

しかし、ほんとに大変だったのは―それから後だったのです。