古活字探偵15

高木浩明さんの「古活字探偵事件帖15」(「日本古書通信」1136号)を読みました。「徳富蘇峰と池上幸二郎」と題して、次回と連続の話題らしい。今回の話題は、蔵書家の独特の感覚で、取り合わせ本が新たに作り出される例です。

お茶の水と水道橋とを繋ぐ坂の途中に、徳富蘇峰の旧蔵書を所蔵する成簣堂文庫があります。かつてのお茶の水図書館ー女性雑誌や女性問題関係の図書館が今は石川武美記念図書館となって、この文庫の管理運営にも当たっています。以前はよく、お茶の水女子大学と関係があるかのように誤解されて、卒業生なら自由に閲覧できる、もしくは女性しか利用できないと思っている人もいましたが、財団法人です。古活字版研究の泰斗川瀬一馬氏が整理されたので、その仕事の具体的な形跡が見出されることもあり、蘇峰の蒐集方針や蔵書に関する見解を知ると共に、貴重な書誌学体験に出会えます。

今回高木さんが注目したのは、『句解南華真経』と題する『荘子』の注釈書。本来は10巻10冊が完本ですが、成簣堂文庫には端本も含めて3組あり、その内の完本10巻10冊は、異なる伝本から不足の巻を抜いて取り合わせ、表紙も揃いのように造り替えたものだというのです。同じ古活字本なら構わない、と考えたのでしょうか。書誌学の観点からでなく、本を使う人の立場からは同じ内容なら揃っていた方がよい、ということなのでしょうか。

本誌には、昨年11月に亡くなった原道生さんへの追悼文も載っています。明治大学図書館の館長時代の思い出を、職員の飯沢文夫さんが書いていて、私にとっては大学院以来、ひたすら温厚な先輩だった原さんが、職場では断固としてその職責を果たされていたことを知り、懐かしく、また改めて惜別の情に囚われました。

4月1日

朝刊を広げたら、見開き一杯に幾つも顔面アップの漫画のコマ、なんだこれ、と思ってよく見ると講談社の全面広告でした。「もしヤンマガキャラが先輩だったら」という大見出し。ヤングマガジンというコミック誌の宣伝のようです。

「中間管理職の意見ってのは、あっさり曲がる」、「遅刻したら、大切なのは、急いできた感」、「感謝のメール、反論しない、大きめに頷く、これが忍法処世術」、「しっかりホウレンソウしとけよ、あとは上司の責任」、「メモとってるフリ、だいじ」等々漫画論法のお役立ちメッセージで紙面が埋まっています。タメになる名言よりダメになる迷言、未熟さもカッコ悪さも受け入れて、キミのままで社会を生きる助言、なんだそうです。なるほどこれが現代の新社会人世代の感覚かーしかしこのノリで押しまくられたら現役世代は堪らない。寧ろ受け入れ側が予め読んでおく心構えなのかも。

毎年この日に出る、ウィスキー会社の公告もありました。昨年亡くなった作家が、2000年4月に初めて書いた原稿の再掲だそうです(それ以前は確か丸谷才一が書いていた)。「空っぽのグラス諸君」と題して、要領よく器用にならなくていい、それより仕事の心棒に触れろ、それには自分が空っぽになって向かうことが必要、嫌なことがあった時はグラスと語れ、案外と酒は話を聞いてくれるものだ、と言っています。

そう、どんな職業も自分なりの言葉でその本質を掴めなくてはいけない。不動産屋は物件を売りつけるのではなく、お客さんを安心させることが仕事だと言った営業マンに出遭ったことがあります。例えば教師は教えるのが仕事ではなく、生徒をみる(熟視する)のが仕事。その子がその子らしくなっていくのに必要なこと、邪魔なことを見抜いて、そうなるように付き合って送り出すのが、仕事の心棒だと私は考えています。

信濃便り・福山観光篇

長野の友人が福山に旅行したから、と写メールを送ってきました。学生時代、寮で同室だったグループが、未だに年1回集まって旅行するのだそうです。60年近く経ち、それぞれ異なる暮らしをしているのに、すごい!女の友情は永続するか否かの議論なんて、問題になりませんね。近年はメンバー中の故人の墓参を兼ねて、ということになり、嫁いだ先の福山へ出かけるのだそうで、今年は7回忌とのこと。

【宿泊したホテルは駅前で、目の前に白壁が美しい福山城がある絶好のロケーションでした。しぶや美術館(ホテルの創業者の実家が現在では公益財団法人の美術館として公開されている)に出かけました。見事な和風の邸宅と庭園でした。】

しぶや美術館庭園

調べると、不動産業、ホテル業、ビル管理業などを経営しているグループ会社の創業者が1993年に開設した美術館で、絵画、書道、香道、禅、礼法、陶芸などの文化教室もやっているらしい。地元のアーティストの展覧会も開催しているようです。地方の資産家が、財団法人を作ってこういう文化事業を行っている例はよくあります。

【開催中の「土井政治色鉛筆画展」を観ました。淡い色合いで丁寧に描かれた絵画に見入った後、展示室の真ん中に置かれたテーブルを見ると、芳名帳とスチールの小箱が2つ。箱には絵を描くために使ったらしい短い色鉛筆が綺麗に並べられていました。】

土井政治の使った色鉛筆

【「リンゴ三兄弟」と題する静物画があって、思わず、足が止まりました。赤と黄色の林檎が3個。確か、これは「全農長野」が商標登録しているはず。調べてみると、登録されているのは「りんご三兄弟」で、平仮名か片仮名かの違いでした。】

この展覧会は、春の野の花を描いたというキャッチコピーで開いていたようですが、林檎にまず目が止まるところが、さすが信濃出身。

開花宣言の日

春の嵐が去って、アスファルトの地面もたっぷり雨水を吸い込み、やっと三月尽に相応しい天候になりました。一昨日若い人の首途の祝膳に出した鯛の頭で、潮汁を作って朝食。重い冬の掛布団を畳んで、軽い羽根布団を干しました。ベランダでは紫蘭の蕾が出て、大島桜や石榴がやや遅い芽吹きを見せています。しかし空は快晴なのにぼうっと霞んでいる。黄砂が降るらしい。

メールを開けたら、月末締め切りの原稿が届いていました。近世書誌学に詳しい後輩に頼んでおいた原稿です。きっちり仕上がっている。思わず雄叫びーいい本ができそうだ!このトシだから片付けと言い残しになってしまうかも、と不安を抱えて企画した本ですが、手を付けてみると、どんどんクリエイティブになって(というか、今まで棚上げにしていた問題が一気に顕在化して)、パズルのピースが填まっていく。もっと早く始めればよかった。

九段の桜が11輪咲き、東京にも開花宣言が出たようです。午のニュース映像では、未だ1分咲き程度の上野や目黒に、どっと人が出ていました。みんな待ちきれなかったのでしょう。近所の長泉寺の境内の桜の咲き具合を、確かめに行きました。老木の山桜は朽ちかけた幹を残して小さく刈り込まれていましたが、東側の枝に数輪の花が開いていて、染井吉野は未だ咲かず、烏が1羽、もっさりと止まっていました。

3月4月は別れと出発の季節ですが、これからも未だ出発はあるようで、若い人を見送るだけでは済まないらしい。見苦しい独り相撲にならないよう、その時々の体力や環境を考えて質の確保に努めなくてはなりませんが、半世紀前に諦めかけた作業の糸口がほぐれ、行き止まりは未だずっと先にある、ということが判ってきました。

古活字版から整版へ

岩城賢太郎さんの「『源平盛衰記』における古活字版と整版とー表紙裏古活字版反古無刊記整版本の調査報告を手掛かりにー」(「武蔵野文学館紀要」13 2023/3)を読みました。丹念な調査に基づき、元和寛永古活字版から乱版(1冊の中に古活字版と整版の丁が混在する版本)を経て整版本へと変わって行く間に、意図せぬ本文変化が起き、それが後のテキストに受け継がれていく現象を追究しています。

源平盛衰記は、近世を通じて無刊記整版本が繰り返し刷られました。慶長古活字版以前の写本は限られたものしか残っておらず、その後字詰めを圧縮した元和寛永古活字版が出て、それを元に乱版や無刊記整版本、絵入り版本2種が出ました。乱版が何故作られたのか、乱版と整版本の先後については未だ説が確定していません。

岩城さんは最近、元和寛永古活字版の刷り反古を表紙の裏打ちに使用した無刊記整版本25冊(総目録共49巻を合冊)を入手、これを見ると、古活字版と整版本の印刷工房が近い(同じ?)ことが推測されると言っています。慶長版や元和寛永版にはルビなど加点がされていませんが、乱版にはあり、どうやら活字にルビも付けて彫ったらしい。中には漢字を誤って当てていながらルビは正しい(つまり底本の語に一致)という例もあり、誤ったまま無刊記整版本以降に受け継がれた例もあるとのこと。但しp48下段に挙げられた例の中、「相撲」と「相様」は活字の転用ではないかと私は考えています。慶長古活字版でも屡々、字形の似た活字を、文脈の中で見れば誤読はしないだろうとの前提で流用したと思われる例が、ざらにあります。

なお注4の参考源平盛衰記享保本については、皆川完一「『尊卑分脈』書名考」(新訂増補国史大系月報62)と、拙稿「伝本のこと」・「元禄本と享保本のこと」(新訂源平盛衰記月報2・5)が基本。

完食指導

「完食指導」という語があるのを初めて知りました。学校給食で1人前を残さず食べるよう指導(時には強制)することを言うのだそうです。「食育」という語は知っていましたが、完食指導は否定的な響きを伴っているらしく、幼時の体験がトラウマになって、「会食恐怖症」の原因にもなるという新聞記事を読みました。

給食の強制が問題になり始めたのはいつ頃からでしょうか。私の小学校時代(ほぼ70年前です)には、脱脂粉乳がまずくて飲みにくかったり(敗戦後、飢餓に苦しむ日本人に対する米国からの恩恵として出されたのですが、給食当番で配り終えた後、バケツに黒い滓が残ったのを見て、これは口にしていい物だったのか、という疑問がちらと頭をかすめ、しかしどこへも言う先がないのでそのまま黙っていました)、かさかさのコッペパンが大きすぎて、半分はランドセルに入れて持ち帰ったり(持ち帰れば咎められませんでした。当時は食品を残したままにするとか、捨てるとかいう発想自体がなかったのです。帰宅後食べました)、という記憶はありますが、そもそも子供が食事を批評したり、選んだりすることはできなかった時代でした。

定時制高校に勤めていた時、アレルギーのため給食を断り、弁当持参の生徒がいましたが、別にそのこと自体が問題にはなりませんでした。現代では、給食の残飯が多いと学級担任の教師が責められることもあるという。給食が全額公費負担になったら、どうなるのか。釈然としません。体質の問題、好き嫌いの問題、食べる速度の問題・・・それらを全て学校給食という制度内で解決しなければいけないのだろうか。飽食の時代、個性尊重の時代、家庭習慣が多様になった時代に、全員一斉の献立はそぐわないのでは。

一つだけ言っておくとー好き嫌いがない方が、自由に生きられるよ。

ゴトジンの一夜

昨夜、高木浩明さんが資料調査のついでに、と仕事仲間を連れて来訪。五島ジンを吞みながら4時間ほどお喋りしました。

2人ともジンは初体験らしく、こちらも強い酒をいきなり呑ませていいかどうか分からないので、最初は小さな盃に、石榴酢とスダチ蜂蜜とで割って試飲して貰いました。ばかにされてる、と思ったようですが、47度の酒は、その場は平気でも後で足を取られるからです。美味しい、と言うので、グラスに氷とジンとライム、そして炭酸水かトニック水か、ただの冷水かで割りながら、各自のペースで吞みました。

肴は胡椒の利いたチーズ、ポテトチップス、ドライデーツ、オレンジ風味のチョコレート。オリーブの甘酢漬、パプリカのサラダ、そして2人のお持たせの惣菜盛り合わせ。〆はバニラアイスクリームでした。

話題は最近のイベント、学会事情、同業者の動静、若手の人事、文化財保護のエピソード、往年の大学者の逸話、大学改革の行きつくところ、各人のいま手がけている仕事内容、有名アスリートの金銭感覚・・・時間・空間を自在に往来しました。高木さんは一人息子が大学に入り、国際観光に関する分野を志望しているとのこと。私は赤間神宮長門本平家物語のこと、先輩から聞いた池田亀鑑の挿話(授業中、作品の一節を読み上げながら感激して泣くこともあったそうで、女性的な人だったらしい)などを語りました。元禄以降は一般書扱い、という贅沢な図書館もあれば、写本の入っていた塗箱を、欠けてるから、と図書館員がさっさと捨ててしまった、という怖い話も出ました。

洒落たデザインのゴトジン1本、呑み終わりました。2人ともジンにはまったようです。私もおかげで何人もの人と、談笑を楽しませて貰いました。