完食指導

「完食指導」という語があるのを初めて知りました。学校給食で1人前を残さず食べるよう指導(時には強制)することを言うのだそうです。「食育」という語は知っていましたが、完食指導は否定的な響きを伴っているらしく、幼時の体験がトラウマになって、「会食恐怖症」の原因にもなるという新聞記事を読みました。

給食の強制が問題になり始めたのはいつ頃からでしょうか。私の小学校時代(ほぼ70年前です)には、脱脂粉乳がまずくて飲みにくかったり(敗戦後、飢餓に苦しむ日本人に対する米国からの恩恵として出されたのですが、給食当番で配り終えた後、バケツに黒い滓が残ったのを見て、これは口にしていい物だったのか、という疑問がちらと頭をかすめ、しかしどこへも言う先がないのでそのまま黙っていました)、かさかさのコッペパンが大きすぎて、半分はランドセルに入れて持ち帰ったり(持ち帰れば咎められませんでした。当時は食品を残したままにするとか、捨てるとかいう発想自体がなかったのです。帰宅後食べました)、という記憶はありますが、そもそも子供が食事を批評したり、選んだりすることはできなかった時代でした。

定時制高校に勤めていた時、アレルギーのため給食を断り、弁当持参の生徒がいましたが、別にそのこと自体が問題にはなりませんでした。現代では、給食の残飯が多いと学級担任の教師が責められることもあるという。給食が全額公費負担になったら、どうなるのか。釈然としません。体質の問題、好き嫌いの問題、食べる速度の問題・・・それらを全て学校給食という制度内で解決しなければいけないのだろうか。飽食の時代、個性尊重の時代、家庭習慣が多様になった時代に、全員一斉の献立はそぐわないのでは。

一つだけ言っておくとー好き嫌いがない方が、自由に生きられるよ。