マドレーヌ

最近のTVには他人の生活を見せて貰うドキュメントが多く、ドラマチックな話が結構あります。制作側が意図して盛り上げているのが分かると興ざめですが、偶然そういう話題に辿り着いた場合には、リアル感が増し、印象がつよい。殊にテレビ東京には「車代を払うから、家の中を見せてくれ」とか、日本在住生活が永い外国人にその理由を問うとか、秘境暮らしの人脈を辿って次々訪問する、といった番組が幾つもあります。

この局は最後発のTV局でした。1964年に開局した時は、科学技術学園高校用の放送が目的で、娯楽番組は0、民放なのにCMはなし。NHKとの合併話が出たり、企業や既発キー局が協力委員会を作って支えたり(1967年。この時から娯楽番組が放送時間の20%許可された)、当初は他局の番組の再放送権を譲って貰ったりしていたのですが、今思うとその後発性が却って、TVというメディアの特性を活かす要因になったかも。

先日は博多港仏蘭西人のカップルをインタビュー、自転車で世界を旅している、知人のシェフから預かったレシピを届けるのが来日の目的だと言う。今どきメールでも郵便でもいいのに何故?と思いながら視るはめになりました。大阪の一流レストランのシェフが受取人で、封書を読む時、客商売の温顔からはっと厳しい職人の眼に変わったのが印象的でした。入っていたのはマドレーヌのレシピと、リヨンの野で自ら摘んだというメリロットの粉末。25歳(仏蘭西では遅め)の新入りが44歳の日本人の先輩と共に修業した12年前、食事も摂れない忙しさの合間につまみ食いしたのが厨房で焼くマドレーヌだった。今は独自の香草を入れて自分の店で作っている、というのです。

メリロットは豆科の野草、毒にも薬にもなる香草です。仏蘭西らしい、粋な話。運び屋のカップルには新婚旅行になったかも。さらにあちこち旅をして帰ったようです。

信濃便り・山茱萸篇

長野の友人から、写メールが来ました。

信濃の早春

山麓に住む中学の同級生から、野菜を掘り出したから取りにくるようにとのショートメールが届きました。当地では、冬の期間、保存用に土中に大根などの根菜類を埋める習慣があります。日時を決めて友人の家に貰いに行くと、「運んでおいたよ。メールを送っておいたけど・・・」と言われてしまいました。妹が雪の日に転倒して以来、車の運転を控えているとの私のメールを読み、気遣って運んでくれたのだと気づきました。
帰宅して勝手口を見ると、大きなダンボールが2箱。中にはぎっしりと瑞々しい野菜が詰まっており、野菜の傍に新聞紙に包まれた山茱萸の小枝が数本。

我が家にも山茱萸の木はあるのですが未だ小さいため、散歩の途中、塀越しに大木の黄色い花を見かけると、しばし立ち止まって見上げるのが常でした。春を告げる黄色の花はいろいろありますが、山茱萸はけなげな感じがして好ましく思っています。】

茱萸の花

【この友人は家事や畑仕事は勿論、趣味の書道と華道を活かして、地元の武家屋敷でイベントがある時には会場の飾りつけ、中学校の学園祭では後輩たちの指導と八面六臂の活躍ぶりですが、作品を制作する時が一番楽しいと言っています。訪問時に貰って帰った瓶詰めの菊芋の漬物は、サクサクとした食感がなんとも言えず爽やかでした。】

いかにも、故郷に帰って旧友と共に在る、という老後ですね。信濃にも春が来ているんだ、とふと気づけば今日は春分、彼岸の中日。祝日が勝手に動くようになってから、季節の行事と休日が連動せず、危うく忘れるところでした。早速、扇屋へおはぎを買いに行きました。彼岸団子やら花見団子、草餅や道明寺も出ていて迷います。仏壇内の人の好みを優先して、粒餡と黒胡麻のおはぎを買いました。汗ばむほどの日差しでした。

『明日へ翔ぶ』最終巻

公益信託松尾金藏記念奨学基金は2002年12月に発足し、03年度以来196名の人文学系大学院生を支援して、来年度で終了します。この奨学金の特典は、基金の報告書を兼ねた論文集『明日へ翔ぶー人文学の新視点ー』(風間書房)に、論文を執筆できることです。これまで6册の論集が刊行され、2025年3月19日に7冊目が出る予定で、すでに執筆希望が揃い、基金事務局と版元との打ち合わせが始まりました。22年間に亘る事業の掉尾を飾る論集ですので、力作が寄せられることを期待しています。

そして基金終了を記念する8冊目は、これまでの奨学生の中希望者が執筆できる1冊としました。論文か短い近況報告のどちらかを選べるようにしましたが、多くの申し込みがあり、版元にはもうぽつぽつ原稿が届き始めているそうです。仮目次を見ると、驚くほど広範囲の分野に亘り、いまこの時代の人文学がどこまで拡がっているかに目を瞠ります。

人文学の業績評価は、いかに説得力のある文章で成果を記述できるかにかかっている、と言っても過言ではありません。仲間内だけに通用する話題や価値観で書いていては、一生は保ちません。本書のもう1つの特典は、読者の目からみて、わかる論文に仕上がっているかどうかを、校正段階で指摘して貰えることです。指導教授とはまた別の、他分野の読者からの視点に応えられる、素直で足腰の強い文章が求められています。

8冊目の原稿は、3月末日が締切です。お目通し下さる先生方も、楽しみに待っておられます。後日、あの先生に見て頂いたのか!と吃驚する場合もあるかもしれません。基金終了後のサプライズです。誰に読まれても胸を張れる、自信作をお寄せ下さい。

今日は金蔵の23回忌。奨学生たちが送ってくれる研究成果やお便りのおかげで、仏壇はいつも賑やか。新しい知に接することが好きだった彼を退屈させずに済んでいます。

説明責任

最近、耳にたこができるほど聞かされる語がありますー曰く、説明責任。与党総裁は党員に「説明責任を果たすよう求めていく」と繰り返しますが、一向に効き目がないようです。あんまり頻繁に聞いているうちに、はて、どんな意味だったろうという気になり、ウェブで調べました。もともとは経済用語だったとあり、対語は「実施責任」だそうです。accountabilityの翻訳語だと知ると、何となく納得したような気にもなるのですが、最近の用法には疑問が多い。

医療従事者から患者へ、経営者から株主や投資家へ、学校関係者から地域社会や保護者へ、という関係ならよく分かるのですが、彼らは誰に対して責任を負っている所存だろうか。辞書の解説では、[責任を負う対象をつねに念頭に置いて行動すること、広義の「責任」]とあります。なら政治家の説明責任は、納税者、有権者に対して果たされるもので、つねに我々を念頭に置いて行動しなければならないはず。

そもそも説明できないことをやっちまったから問題になっているのに、何が説明できるのでしょうか。案の定審査会では連日、自分は知らなかった、結果的にこうなっちゃった、と異口同音に繰り返される。聞くのがつらい。

要は領収書のない政治資金の支出を止めるべきです。つまり説明できない金は使えないということを、身体で覚えて貰う。政治にはカネがかかる、を禁句にすること。かかった金の出入りを追跡できるようにしなければ、政治のいかがわしさは払拭できません。

党員に説明責任を果たせと言うなら、党首は実施責任を負うべきなのでは。それは過去の人に押しつけてしまう気か。もともと「じゃんじゃん刷った」お金、でも一夜で木の葉になって、責任がチャラになったりはしませんよ、昔話じゃあるまいし。

長門切「三十騎には」

平藤幸さんの論考「新出『平家物語長門切の紹介と考察」(「国文鶴見」58号)を読みました。この度鶴見大学図書館蔵となった、5行の長門切の翻刻とその考察です。源平盛衰記巻35「粟津合戦」の一部、既出の切(鶴見大学図書館蔵「名乗て懸出」の数行前に続く部分らしい。概ね源平盛衰記の本文と一致するものの、部分的に長門本に近い点もあるようです。

現存する長門切には何故か義仲関係記事の箇所が多く、それが何を意味するのか、私にはずっと気になっていることです。読み本系平家物語の合戦記事では、頼朝や義仲配下の武士たちの名が具体的に記され、しかし現在の我々からはその伝が十分追跡できない例が多い。このことが事実との近さを示すものなのか、逆なのかは、平家物語の成立に関わる問題でもあります。

鶴見大学の日本文学科は昨年、開設60周年を迎えたのだそうで、本誌はその記念号、和歌に関する論文や資料紹介が満載です。中川博夫さんの「中世和歌の「そぢ」覚書」は、中世文学で「六十路」とか「七十路」と言った時は何歳を指しているのか、という考証で、まとめに述べられた内容は概ね妥当だと思いますが、もともとその文脈の中で決まる性格の語なのでしょう。殊に「路」という語を含んでいるので、ある年齢の前後の過程が意識されており、その時期の境涯そのものを背景に持つ場合もあるかと想像します。例えば39頁下段に引用されている久保木哲夫さんの論、俊惠の七十賀に賀茂重保が詠んだ「いのりかさねて行末も猶ななそぢの」という歌は、さらにもう70年後の春を、という意味なので、今後の70年という過程(行末も猶)を意識していることになります。

中川さんはこの春御定年だとか。(自分の事は棚に上げて)歳月の速さを実感します。

102年目の魚屋

父の命日が近いので、花を買いに出ました。この近辺では頼れる花屋がなくなって、不自由しています。週末だけ出す店があって、品数は少ないが花が新鮮なので、まずそこへ行ってみました。黄色いフリージアがある。白か紫ならもっとよかったけど、父の好きな花だったので、ここで揃えることにしました。紫のベロニカ、白いオルニソガラム、黄色のラナンキュラス、オレンジ色のカーネーション。彼が気に入っていた石川窯の花瓶に挿せば、何とかなりそうです。

戻ってくる途中で、魚よしの新装開店に出くわしました。創業102年目の魚屋です。このところ店を建て替えていたのですが、3階建ての真黒なビルの背後に真白な賃貸ビルが接続していて、到底鮮魚を売る建物とは思えない。正面だけ見ると博物館か何かのようです。美容院で聞いた話では、もともとアパート経営もやっていたのだそうで、代替わりを睨んで踏み切ったのでしょう。華麗な祝花が並んでいましたが、「本郷小学校同級生一同」の名札のあるのがいかにも地元らしい。

店主は区の福祉事業や中学校の料理教室にも参加している「意識高い」系。声が大きくて、朝など坂の上の我が家まで筒抜け。コロナの間は敬遠していたのですが、魚屋の声が大きいのは本来でしょうね。店の間口は半分になり、ショーケースも小さくなりましたが、見本だけ置いて、客の注文次第で捌くやり方にしたようです。毛蟹が1杯、鎮座していました。硝子戸には水紋のような絵が描いてあり、暖簾にも。どうしたのか訊くと、知り合いのデザイナーに頼んだそうで、付き合いが広いのでしょう。今どき建築デザインは高くつくはず。こりゃあがんばんなくちゃね、と言ったら、頑張るために建てたんだから、との答えでした。鮃の刺身を買って、新築祝いの魚形スポンジを貰って帰りました。

2万の星

2017年1月から開始したこのブログに頂いた星の数が、本日2万を突破しました。お読み下さる皆様、声援を送って下さる方々、また時折、素敵な写真を送って下さる方に御礼を申し上げます。おかげさまで見守り機能も果たしてくれており、認知症テストを試みようとする区派遣の地域担当ケアマネには、氏名検索してブログを読めば、認知症かどうか判るから来なくていい、と言って断りました。

毎朝扉を開けて、咲き誇るパンジービオラの花むらが陽に照らされているのを見ると、ああこれが平和というものだ、と実感します。今日は、用があって午前中に郵便局へ出かけました。いつもは子供たちの駐輪で道が塞がれ、甲高い声が溢れている小さな公園は未だひっそりとしていて、車椅子の老人が日向ぼっこをしている脇で妻らしき老婦人が鞦韆に座り、しかし2人とも特段の会話はなく、沈丁花の香りがときどき風を感じさせます。

そう、これが平和なんだ、と改めて思ったのですが、午のニュースでは、共同開発した戦闘機の輸出は閣議決定だけでOKになるという。第2与党さん、閣議決定なんて歯止めにならないよ、殊に今の政治状況では。言訳にも口実にもならない、ただの手続き。今日の平和をいつまで守れるか、視線を上げてもっと遠くを、真剣に見て欲しい。

政治や社会批判を書くと、不愉快な公告がわっとひっついてきたり、身内から心配メールが来たりするのですが、花や風を楽しむ日常と、文学研究の我が道を行く覚悟と、平和や平等を守りたい意思とは一団のものです。これからも御愛読、御声援のほど、よろしくお願いいたします。

日航機墜落事故で亡くなった歌手を、いまこの御時世で振り返ると、「上を向いて」と「見上げてごらん」の2曲だけでも昭和史を代表する歌手だった、と思います。