説明責任

最近、耳にたこができるほど聞かされる語がありますー曰く、説明責任。与党総裁は党員に「説明責任を果たすよう求めていく」と繰り返しますが、一向に効き目がないようです。あんまり頻繁に聞いているうちに、はて、どんな意味だったろうという気になり、ウェブで調べました。もともとは経済用語だったとあり、対語は「実施責任」だそうです。accountabilityの翻訳語だと知ると、何となく納得したような気にもなるのですが、最近の用法には疑問が多い。

医療従事者から患者へ、経営者から株主や投資家へ、学校関係者から地域社会や保護者へ、という関係ならよく分かるのですが、彼らは誰に対して責任を負っている所存だろうか。辞書の解説では、[責任を負う対象をつねに念頭に置いて行動すること、広義の「責任」]とあります。なら政治家の説明責任は、納税者、有権者に対して果たされるもので、つねに我々を念頭に置いて行動しなければならないはず。

そもそも説明できないことをやっちまったから問題になっているのに、何が説明できるのでしょうか。案の定審査会では連日、自分は知らなかった、結果的にこうなっちゃった、と異口同音に繰り返される。聞くのがつらい。

要は領収書のない政治資金の支出を止めるべきです。つまり説明できない金は使えないということを、身体で覚えて貰う。政治にはカネがかかる、を禁句にすること。かかった金の出入りを追跡できるようにしなければ、政治のいかがわしさは払拭できません。

党員に説明責任を果たせと言うなら、党首は実施責任を負うべきなのでは。それは過去の人に押しつけてしまう気か。もともと「じゃんじゃん刷った」お金、でも一夜で木の葉になって、責任がチャラになったりはしませんよ、昔話じゃあるまいし。