ジン攻略法

友人から椿の実で香りをつけた五島ジンを贈られてから、呑み方を研究しました。今はリキュールが親しまれる時代になったのですね。私には、ジンは針葉樹の香りのする、透明でむやみに強い、肉体労働者向けの酒、カクテルの材料にすれば都会向けになる、という程度の知識しかなかったのですが、いきなり47度500mlの瓶が届いたので、どうすればめっきり弱くなった自分にも呑めるか、あれこれ試したのです。

友人知人や後輩から割って吞む方法をいろいろ教えられ、試飲会をやり、それなりに美味しい割り方を会得したのですが、じつはその後独りで試した結果、2分の1くらいに氷水で割るのが一番美味しいという結論に至りました。それ以上薄めるとジンらしくなくなる、それゆえ果汁などを足せば飲みやすくはなるが、ジンは寧ろ添加物になる。

ネット上には、ライムに塩を振って囓りながら吞むのが最高、という情報がありましたが、さすがにその勇気はありません。ライムを厚めに切って、軽く粉砂糖を振ってつまみにし、もう1切れを先ほどのオンザロックに軽く絞り入れ、未だ形の残っているうちにそのままグラスに入れて吞むと、美味しい。これこそジンを活かした呑み方だと思いましたが、度数23と考えるとたまにしかできません。

肴には、ゆるく練ったポテトサラダも合うことを発見しました。意外なことに、バニラアイスクリームが合う、というネット情報は真実でした。上記のような、生(き)に近い呑み方の合間に、バニラアイスで口中を冷やすのです。柑橘類やスパイスが似合うという原則を踏まえて模索すると、的中するようです。おかげでこの1ヶ月、情報検索や食材探求や、交友も楽しめて、贈り主の友人に感謝しています。五島名産をマスターしたら、赤松・柚子・玉露・山椒などを使ったという京都のクラフトジンを試してみたい。

小さくなる

母国を再び偉大に!というスローガンは、人を熱狂させるようです。しかし弊国で、大きいことはいいことだ、というキャッチコピーが流行ったのは、随分昔のこと。これからは、国土の狭い日本で、産めよ増やせよで右肩上がりの経済成長を維持していけるとは、いったい誰が保障できるのでしょうか。

女が子供を産みたがらず、年寄りが金を貯め込み、DX化をものぐさがり、そのせいで日本がじり貧になりつつある、といった愚論を検証もせずに繰り返す評論家たちにうんざりしています。多様な生き方を許容するならば、生物学的に制約の多い生殖の機会が減ることは避けられず、そもそも世界的に富が公平に分配されるならば、国土が狭く特殊な資源産出の少ない弊国が、強大国を目指すのは無理でしょう。

SDGsとやらも突き詰めればどれだけ我々が不自由を我慢し、欲望を抑えることができるかという問題になります。ならば拡大ではなく縮小に堪えて質を確保する、という発想が基本にならなければいけない。今はそういう課題に取り組むべき時機ではないのか。

「積極的」専守防衛が可能であるかのように言われますが、憲法九条があるから日本は戦闘行為に加担できないのだとみんなから思われている間はいいが、攻撃能力のある武器を持ち、輸出し、大国の軍隊の肩代わりもできるとなったら、挑発的行為を仕掛けられた時に応戦しないわけにはいかなくなる。やれるのにやらなければ、許容したと言われても仕方がないことになるでしょう。少なくともそういう声が国内からも噴出するに違いない。

小さくなってもそれなりの存在感を保って国際社会で生き延び、人口が減っても人生の満足度を保持できる社会を作るには、どうしたらよいか、可能かどうか。政治家は勿論、学者も評論家もジャーナリズムも、老若の有権者も、そういう議論をしようじゃないか。

番外編:太平記の人々に出会う旅① 第86回「神戸市・湊川の戦い」

 元弘3年(1333)、後醍醐天皇鎌倉幕府を滅ぼして建武の新政を行いますが、足利尊氏が半旗を翻し、わずか2年半で崩壊します。この時、後醍醐天皇に忠誠を尽くしたのは楠木正成新田義貞です。尊氏は敗れて一旦は九州まで退いたものの、再起を図り、建武3年(1336)、湊川の戦いにおいて新田・楠木軍を破ります。

楠木正成像(湊川公園)】
 皇居外苑楠木正成像は有名ですが、合戦の舞台となった湊川にも立派な像があります。旧湊川はこの付近を流れていました。


楠木正成墓所湊川神社)】
 湊川神社の祭神は楠木正成です。足利軍に敗れた義貞は北陸に逃走しますが、正成は湊川神社境内の殉節地(楠木正成戦没地)で一族郎等と共に自害したとされ、正成の墓所もあります。


【「嗚呼忠臣楠子之墓」碑】
 この墓所は、正成を敬愛する水戸光圀が建立したもので、「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字は光圀自らが書いたとされています。


〈交通〉
神戸市営地下鉄山手線大倉山駅湊川
              (伊藤悦子)

虹の彼方に

同時代史は断片的、自分が通り過ぎてきた一瞬の記憶だけで綴られているので、何かのきっかけでその背景を知り、愕然としたり、腑に落ちたりすることが多い。このブログを書くために調べてみて、へえ~そうだったのか!と驚くこともよくあります。

子供の頃、講談社の少年少女文学全集(だったと思う)に、『オズの魔法使い』という1冊がありました。少女ドロシーが愛犬トトと一緒に、家ごと竜巻に吹き飛ばされ、故郷に帰るために旅をする話です。道中、脳みそのない案山子、心のないブリキの木こり、臆病なライオンと出遭い、桃太郎よろしく彼らを連れて、望みを叶えてくれるというオズの魔法使いに会いに行く。ファンタジーらしいけど、ところどころよく分からない要素があり(例えば、ブリキの木こりというキャラクター)、愛読するというほどではありませんでした。結末は、案山子には知恵があり、木こりには人を思う心があり、ライオンにも勇気はあって、自信が無かっただけということが判り、ドロシーも無事故郷へ帰ります。

作者名も覚えていなかったのですが、調べてみると、ライマン・フランク・ボームという人だそうで、出版は1900年、大ヒットし、1937年には映画化され、ジュディ・ガーランドという女優が劇中歌「虹の彼方に」を歌いました。不満だらけだった女の子が大人になる話、第1次大戦で荒廃した米国人を励ましたという解説がついていました。日本では第2次大戦後にこの曲が流行りました。オズの魔法使いの正体などは「ルパンⅢ」がパクっています。LGBTのシンボルカラーが虹色なのは、あの女優に因んでいるという説明には吃驚しました。そうだったのか!

今夜は、高校時代にフォークダンスで踊った「マイム」が、イスラエル苦難の開拓時代の歌だと知って、愕然。井戸掘りで荒地に水を得た時の歌だそうです。

東京マラソンの日

朝、轟音を立ててヘリが我が家の上を旋回し、ホバリングしたりしてうるさいなあと思ったら、今日は東京マラソンだったのでした。人数が多いだけでなく、五輪代表を狙って走る人もいればコスプレを楽しむ者あり、車椅子参加者もいるという具合で、運営する方はさぞ大変だろうと同情しました。ヘリは終日飛び回り、日が落ちる頃ようやく静かになりました。

日脚が伸びるにつれ、冬至の頃はトイレと風呂場以外には遍く差し込んでいた陽光がどんどん退き、その代わりベランダ一杯に太陽の恵みが降り注ぐようになりました。買ってきたポットのまま咲かせていたビオラプランターに植え込み、菊の芽を植え直し(この時季の柔らかな銀緑色の新芽が好きです)、川越から送ってきた河原撫子の種子を播きました。粉のように小さい種子なので、土をどのくらい被せるか迷いましたが、もともと河原に自生するくらいだから1粒ごとの運次第、と割り切ることにしました。

冬の間真青だった空の色が柔らぎ、裾の方は霞んでいます。明日は雛人形をしまわなくちゃ、と思いました。雛人形をしまうのが遅いと嫁き遅れる、という俗信があって、女の子のいる家は4日早々に片付けるのが決まりでした。この年になってもその習慣が強迫観念になっているのです。

刈り込みすぎた素馨花が今頃次々に新芽を出し、今年は花房が多そうです。思い切った剪定が花木を管理するコツらしいのですが、気弱な私は例年最少限度の刈り込みしかしないのに、去年は誤って新しい本枝を剪ってしまい、心配しましたが怪我の功名だったようです。ムスカリの蕾も見つけました。ふと、球根を来年も咲かせる方法を考えている自分に気づき、苦笑しました。平均寿命まであと数年、いつ夜半に嵐の吹かぬものかは。

辻井伸行に教わったこと

ドキュメント番組「辻井伸行×ハワイ」(BSフジ)を視て、考えることが沢山ありました。彼の海外ツアーを追うドキュメントは年末恒例番組だったのですが、久しぶりで視たら、童顔ながら肉付きのよい中年にさしかかり、手引きも若い人に交代していました。幼い頃からその才能を育てるために両親が手を尽くし、殊に母親が自立させる方針を貫いたことは知っていましたが、幼年時代、ハワイに家族旅行し、ホテルで演奏したことが後の人生を決めたと知って、特別な家庭の出身だったんだなと改めて思いました。

ハワイの浜に立って、ここは来たことがある、と彼は呟きます。30年近く前の土地、匂いや風向きや波音で判るのでしょうか。6歳だった彼は1日もピアノを弾かずにはいられず、空き時間にホテルのピアノを弾かせて貰っていたそうで、聞いていた支配人からディナータイムに演奏するよう勧められ、その時の客の喝采が嬉しくて、ピアニストになる決心をした、ここは自分の原点だ、と言うのです。当時、日々の印象を小品に作曲してもいました、まるで日記のように。今回はフラダンスショーや小学校の音楽教室にも参加し、様々な人たちと交流します。チーム辻井とでも呼ぶような、多くの人たちに支えられてはいるものの、視覚障碍者の制約を遙かに超えてしまっています。音楽は誰とでも一緒になれる、と彼は言うのですが、それはやはり彼自身の力でもあるでしょう。

最後にいろいろな楽器と共に「虹の彼方に」を合奏しましたが、彼は虹を見たこともなければ、この曲が主題歌となった映画作品も見ていない。彼の中には彼独自の「虹」があり、それを越えた「彼方」がある。それは文学が構築する虚構世界とはまた異なった、我々は彼の音楽によって窺い知るしかない世界です。

超絶技巧ピアノでジャズっぽい、ニコライ・カプースチンというウクライナの音楽家がいま注目されていることを、初めて知りました。いや、辻井伸行に教えて貰いました。

少子化の理由

韓国の少子化は最近速度が上がったらしく、その理由を推測した報道を読むと、日本でも同様だという気がします。政府は子育て世代に降り注ぐように金銭的補助をしようとしていますが、エノキさんによれば、出産年代の友人たちは、¥50万貰ったくらいで子供を作る気にはならないと言っているのだそう。そうだろうなあ、と私も思います。そもそも意識的に子供を産まないのは、出産費用だけが理由ではないでしょう。

何よりも、いまの生活を10年近くトーンダウンしなければならないこと(特に女性は)への躊躇、20年近く後の日本社会が平和で幸福な人生を保障してくれるかどうか分からない(どちらかと言えば悲観的見通し)ことへの不安、そして兄弟姉妹の少なかった自分の経験から親業を成功させる確信が持ちにくいこと・・・それらの「漠然とした不安」が、とてつもなく大きく思えるのではないでしょうか。

それはつまり、真面目にふつうにやっていけば、人生最後は何とかなる、という楽観主義、予定調和を信じる環境にいないということです。そんなもの保障できない、と言ってしまえばおしまいですが、まあだいたいそうなるだろう、くらいの安心感も持てないのが現在の日本社会なのです。

しかし冷静に考えてみれば、そのくらいの安心感がある社会を維持するのが政治ではないでしょうか。それを目指して選挙に出、議会に登場し、政策実現に奮闘していると信じて、私たちは議員諸君に血税から給与や諸経費を出すことを黙認しているのではなかったか。産めよ増やせよと言われても、その子たちが安心して暮らせるかどうか分からないのに親になるわけにはいかない、自分たちの一生をそれに賭けるわけにはいかないー大声では言えないもののそんな気持ちが、少子化の根底にあるのでは。