国際家族の2020

鳥取時代のゼミの教え子が米国マサチュセッツで、北欧出身の夫と娘2人とで暮らしています。家族の近況報告を送ってきましたので、やや長いのですが一部を紹介します。

【次女は 14 歳、6 月にミドルスクール(日本の小5~中 2)を卒業しました。コロナで学校が閉鎖されて卒業式もなく、代わりに私たちが計画して同級生の数家族が集まり、庭で距離を保ちながら式をしました。秋には高校に進学したのですが、半数の生徒が登校する週と、家でPCを使って勉強する週を交互に行うハイブリッドです。学校でも各自 2 mの間隔を保ち、マスクをしてプラスチックカバーの後ろで勉強することになっています。

長女は 17 歳、高校卒業の年です。最高学年なので授業だけに出ています。去年は楽しみにしていた恒例行事が次々とキャンセルになりました。まず、ジュニアプロムという、ドレスを着て出る春のパーティ(ドレスは買ったのですが)がキャンセル、上級生だけがコスチュームを着て走り回れるハロウィンは予定がなかなか立たず、スポーツクラブの試合もキャンセルになったり、Zoom 上でだったり。ただ、彼女の場合はすでに高校の友人が沢山出来ていたので、オンラインで宿題やテスト勉強をしたり、話したり、大学の申し込み手続きをしたりできました。大学決定後、進学は 1 年待って、アイスランドで過ごすことにしています。運転免許も取って、妹の送り迎え、買い物やクラブにも行ってくれるようになったので、親は楽になりました。車の鍵を長女に取られた夫は悔しそうですが。
子供たちの学校閉鎖と同時に夫も自宅勤務になりました(今のところ、今年の 6 月末ま
で)。仕事は忙しく、またコロナのため州外には出られませんでした。夏の終わりにやっと州内のキャンプ場が予約できたので、2 カ所でキャンプをしました。夫は日本語を根気よく毎日勉強し、日本語学校出身の2人の娘が知らない単語を使って嫌がらせをしています(だからと言って娘たちが、もっと日本語を勉強するわけではありませんが)。
私は春学期、ボストン大学で Zoom を使って、日本語を教えることになりました。オン
ラインで教えるのは初めてで、大変そうですが、在宅で教えられるのはありがたいです。生け花、籠編み、空手も続けています。
去年は、思いがけない状況をいかにうまく乗り切るかを教えられた年でした。皆様が健康で、2021 年が安定した年になりますように。(安宅正子)】

中近世移行期の文化と古活字版

高木浩明さんの『中近世移行期の文化と古活字版』(勉誠出版 2020)という本が出ました。1下村本『平家物語』とその周辺 2「嵯峨本」の世界 3古活字版をめぐる場と人々 という3部構成になっており、27年間に亘る古活字版の書誌調査を通して、書名通り、古活字版が作られる環境を描き出しています。書誌データや図版もたくさん入っていて、有益です。全870頁、手に取る方はまず17頁にも及ぶ「はじめに」から読むことを、お勧めします。

「あとがき」にも書かれているように、『平家物語』一方系本文が固定化に至る過程の研究は遅れており、下村本は、中でも流布が広かった本文と見込まれます。高木さんは精力的に下村本の書誌調査に取り組み、そこから嵯峨本や他の古活字版、それらの制作環境へと視野が開けていき、この道の巨人川瀬一馬氏の後を追いながらさらに越えていこうと決意したのでした。

私には、第1部の下村本・覚一本・源平盛衰記の古活字版研究に教えられること多く、書誌学の奥深さに襟を正すと共に、第3部の中院通勝や角倉素庵、林羅山らの人脈に興味を惹かれました。漢文系の古活字版に付訓がないのは、各人の訓読を書き込むためでもあった、とか、活字は差し替えが簡単にできるので、異植字版制作や切り貼りによる校訂が行われ、殆ど写本のような異同が生じることなど、膝を打つ思いです。第3部第8章の「本文は刊行者によって作られる」は、私が今抱えている課題でも思い当たる節があって、いろいろ考えさせられました。

推理小説を読むような面白さも(危険も)あるのが文献学。できれば「はじめに」のような分かりやすい文章の新書判で、中近世移行期の出版と知識人の話を書いてみては。

コロナ下のおせち

晦日からよく晴れ、新年3日は寒かったもののやはり晴天で、好いお正月だった、と言いたいところですが、都知事が緊急事態宣言を要請するなど異常な年明けでした。年越し蕎麦も今年は自前で茹で、つゆがいまいちだなと思いつつ食べました。近所でも近年の大晦日には珍しく、金平を炒める匂いや塩魚を焼く匂いがして、20年前に戻ったようでした。第九の合唱を聴き、比叡山の除夜の鐘もTV越しに聞いて寝ました。

三が日は、年賀状を投函に行く以外(郵便ポストは玄関脇にある)は外出もせず、逐われる仕事もないのに、あっという間に日が暮れました。元日も2日も街中を走る救急車のサイレンはやまず、医療は大丈夫なのかなあとしょうもない心配をしました。

今年のおせちに新しく加えたのは慈姑です。手間がかかる割に美味しくないのでは、と思い込んでいたのですが、長芋と同様に扱ってみました。スーパーで売っている物はすでに綺麗にしてあるので、固そうな所や汚れた部分を削るだけ、底部に切れ目を入れ、電子レンジに短い時間かけた後、オーブンでちょっと焼きます。桜塩を振って、そのまま出します。ほくほくして美味しい。電子レンジで長く加熱すると冷えた時に石のように硬くなるので、オーブンで逆さにして焼くと、縁起物の芽をつけたまま出せます。

宮中新年会で外国の大使に出されるおせちの写真をツイッターに上げた大使がいて、話題になりました。鯛の塩焼と「はなびら餅」以外は質素な、昭和初期の家庭で用意されたようなメニューでしたが、落胆したのは使い捨てプラスチック容器だったこと。大半の人が持ち帰るのでしょうが、「持続可能な」エコ容器を追求して欲しい。杉の間伐材や竹皮などを利用して、古式ゆかしく工夫できないものでしょうか?

なお「はなびら餅」と呼ばれる甘い餅は、赤門前の扇屋でも新年の店頭に出ます。

年賀状2021

今年の年賀状には、大学のオンライン授業に逐われたという文面が多く、その可能性に触れたものはちらほら、でした。教え子や明翔会のメンバーからの近況を告げる文面は、嬉しいだけでなく、世の動きを具体的に知ることもできます。

米国のVyjayanthi Selingerさんから来た賀状の一部を紹介します。

【振り返ってみると、ものすごいスピードで生きてきたような気がします。3月にコロナが流行り始めた頃、学生はアメリカ国内、国外の家に帰りました。彼らが遠くにいてもクラスのコミュニティに参加できる授業に力を入れました。録画する講義を面白くしたり、学生の理解を確かめるために講義動画の途中で小クイズを出したりしました。宿題もグループで作るビデオ作文に変えてみたりして、リモートでも学生が楽しんで学べる空間を作りました。努力が実って、大学の雑誌やHPにイノベイターとして名前が載り、その記事を読んだOB/OGから、励ましの手紙がたくさん届きました。

https://www.bowdoin.edu/news/2020/09/online-teaching-japanese-with-vyjayanthi-selinger1.html

また10月にダートマス大学で、日本の研究者とのワークショップに参加しました。

https://sites.dartmouth.edu/visualizingtexts2020/program/

ハリス副大統領の当選は嬉しいです。この国で活躍する娘の将来を夢見たりします。私自身も同僚から新しい目で見られているのではないかと思います。ハリス副大統領はいろいろなことを「代表」してくれています。米国における移民の貢献は勿論、移民の世界観の新しさも。この選挙と並行するように、米国での日本研究にも新しい風が吹いてきています。学会などで研究者のパネルを作る時に、ジェンダーや人種のバランス(つまり世界観の多様性)を考慮するようになりました。これはいいことです。いろいろな考え方によって膨らんでいく学問は、前へ進みます。(セリンジャー)】

賀詞2021

あけましておめでとうございます

一昨年から昨年前半にかけて、軍記物語講座全4巻(花鳥社)を編み、無事に完結させることができました。御協力くださった方々に御礼を申し上げます。喜寿を迎えたこともあり、編集しながらこの半世紀の研究史を振り返り、また文学研究の中での軍記物語研究の現況を顧みて、学者の一生というものを考えさせられた次第です。

ところが自身は、やり直すべきこと、未着手の課題などが次々出てきて、ふと、今が大学院後期くらいだったらいいのになあ、などと思う始末。自らの手で片をつけておかなければいけないことも、自由になったから出来ることもありますが、松明けから早々、難題に取り組むことになりそうです。
昨年3月に出た『明日へ翔ぶ―人文社会学の新視点― 5』(風間書房)の出版記念会はコロナのため中止になりましたが、研究報告会を、修了生たちがこの春にオンラインで企画しています。

はやくマスクなしで、どこへでも行ける日常になって欲しいものです。今年もよろしくお願いいたします。
 令和3年(2021年)新春                                              mamedlit

2020大晦日

今年は、間近な締め切りを抱えていない大晦日。余裕の年越しだと思っていたのですが、納戸を開けたら去年処分しなかった書類の山を発見、そう言えば去年は軍記物語講座に逐われて大掃除を手抜きしたのでした。おまけに、いつも家事代行さんに任せきりの掃除を自分でやってみると、あそこもここも、やるべき箇所が次々に見えてきます。

ようやく昼過ぎに、街へ出ました。通りは静かでしたが店は混んでいます。花屋も肉屋も、普段来ない客も来ているとみえて、てんてこ舞いしていました。例年は買い物の途中で蕎麦屋へ入るのですが、今年は海老天だけ買ってきて、我が家で作ることにしました。学生時代からよく入った蕎麦屋は餃子屋になり、行きつけの店がなくなりました。

花屋は南天水仙も置いていましたが、たしかに少ししかないので、どうしても欲しい人のために遠慮し、松と猫柳と洋花を買いました。かなり大量に買った所存だったのですが、帰って活けてみたら余りません。洗面台には切り落とした猫柳とカーネーションに庭先の蔦を添えて、小さな器に挿したら、どうにか様になりました。

白い蔓薔薇、赤いスプレー咲きのカーネーション、ピンクのスイトピー(正月はフリージアかスイトピーを買います。夜、香りがふわっと包んでくれるので)を、茎の空間を生かして活けてみました。名古屋勤務時代に買った藍染めの幟を、下に敷きました。獅子が笛を咥えている図柄なので(禰津子みたいです)、魔除けです。名古屋はしきたりの派手な土地柄、節句や嫁入りには大胆な図柄の染め物が飾られます。

車折神社の宝船の絵馬と長岡天神の牛(子豚によく似た牛です)の絵馬、それに盆に山盛りの信濃の林檎と讃岐の紅蜜柑を飾りました。豊穣の感じが出ました。玄関には毎年、大須神社の七福神の絵馬を掛けます。疫病が鎮まり、よい1年になりますように。

阿波国便り・丈六寺篇

徳島の原水民樹さんから、丈六寺に行ってみた、と写真が送られてきました。

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徳島・丈六寺

【丈六寺は、阿波の法隆寺と呼ばれる曹洞宗の古刹で、細川成之により再興されたと伝えられています。

寺号の由来となっている丈六仏について、日本史の人が、蓮華王院に安置するために阿波民部が寄進した観音像の予備ではなかったかと推測していたように記憶します。

丈六寺には、国文研の調査で数年通いました。蔵書の中に、光源氏の死去年を記した年代記があり、調べようと思いながらそのままになってしまいました。(原水民樹)】

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丈六寺観音堂

寺の説明板によれば、観音堂聖観音とは国の重要文化財になっているらしい。観音堂は永禄10(1567)年に細川真之が建立、寄進。慶安元(1648)年と昭和32(1957)年に解体修理をしたそうです。高さ約3.1mの聖観音坐像は、平安末期、定朝様式で、左手に蓮の蕾を持ち、右手は説法印を結び、飛天光背のある、国内では珍しいものとのこと。

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丈六寺

平安末期、この地域の城主は桜間介良遠だった、とも説明板にはあります。桜間は桜庭とも、良遠は能遠とも表記し、詳しい伝記は不明ですが、『平家物語』では元暦2(1185)年2月、義経が嵐を衝いて阿波に上陸し、屋島へ向かった際に登場します。諸本によって記事の内容が違いますが、地元の有力武士の代表として描かれています。

国文学研究資料館が全国の古典籍を、近辺の大学人を派遣して調査した結果は、死蔵されていると言ってもいい現状ですが、現地ではそのときどきで面白い発見もありました。須磨には「光源氏の屋敷跡」という名所ができており、丈六寺所蔵の年代記に記された光源氏死去の記事も、案外面白い話題かもしれません。