覚一本本文異同小考

軍記物語講座第2巻『無常の鐘声』(花鳥社)が7月30日に発売されます。平家物語の論文14本と、「源平盛衰記国内地名索引」を収載しました。

現在の平家物語研究には、表現論が不足している、と思っています。例えば、こんな問題も考えてみてはどうか、という心算で、小文を書いてみました。

「覚一本平家物語の本文異同小考」 https://kachosha.com/gunki2020072101/

本シリーズは表紙と書名にも工夫を凝らし、最寄りの書店で平積みになっているのを見た一般の読書家も、思わず手に取ってみたくなるようにと考えたのですが、一部の書店に棚差しで置くのだそうで、ちょっと残念です。

研究者が内向きに籠もるのでなく、文学愛好家たちからも、ここが判らない、あれはどうなんだ、と言って貰えることが必要だ(研究者自身のためにも)と、痛感しています。単に興味本位のトピックスを盛り込んだり、あらすじや参考書の羅列を増やすことが一般向けサービスだとは言えません。他分野の研究者にも、軍記物語の研究はとっつきにくい、内容まで踏み込んだ議論は出来そうにない、と思われているふしがあります。学問的な水準は落とさず、しかし判りやすく説くにはどうしたらいいか、今後も考え続け、試行していきます。

第2巻の表表紙は、安徳天皇と平家一族の供養のために建てられた赤間神宮の水天門。国の重要文化財指定です。裏表紙は國學院大学図書館蔵『奈良絵本平家物語』巻九の「義仲最期」の挿絵。この奈良絵本は絵の数は少ないものの、人物が愛らしく描かれており、寛文12年(天和2年)版本をもとにした挿絵場面の選択は独特です。山本岳史さんが「國學院大學校史・学術資産研究」5号(2013)に解説を書いています。

宮古島から

先週からみんみん蝉が鳴き出しました。この界隈では明らかに、年々数が減っています。家の建て替えやマンション建設が進んで土が掘り返され、樹木がなくなったからでしょう。その上、今年は梅雨が長くて夏空が見えません。未だ6月のような気分でいるところへ、宮古島からマンゴーが届きました。赤、橙、黄色のグラデーションが惚れ惚れするほど美しい。

贈り主のシェフに電話を掛けました。独立して小さな店を出してから2年、コロナの影響を尋ねると、宮古島では感染者は出ていないが、島内の隔離病床が3床しかなかったので、飲食店は閉めた所が多く、彼もGWから2ヶ月間、店を閉めたそうです。国と県からの休業補償があり、恋女房の勤めるヴィラハウスの朝食デリバリーも請け負っているので、生活はできたと言っていました。6月19日からは規制が緩み、島内の医療体制も以前よりは拡大して、客足が戻ってきたとのこと。彼の店も再開、ヴィラハウスも繁盛して、夫婦ともどもこの連休は忙しかったらしい。でも東京から真っ直ぐに来る客はいない、とのことでした。

ひとまず生活できているそうで、安心しました。なるほど観光業で生活を立てている方から言えば客に来て欲しいし、万一発症したらなどと考えなければ、離島の自然を満喫して過ごすバカンスは最高でしょう。定年退職記念に訪れて以来、すっかり宮古島贔屓になった友人の介護生活が終わったら、また誘おうと考えていたのですが、思いがけぬ疫病流行で叶わなくなりました。

蝉だけでなく私たちも、あてにしていた明日が来るかどうかは判らずに、でも明日明後日を予期して生きています。知られぬ未来だから、生きられるのかもしれません。

萱草に寄す

中西達治さんから、藪萱草の花の写真を刷った葉書が届きました。文面には、

「拝啓 梅雨のさなかに咲くワスレグサ、俗に藪萱草と呼ばれています。古代中国で忘憂草とされ、大友旅人は大宰帥に左遷されたとき、わすれ草わが紐に付く香具山のふりにし里を忘れむがため と詠いました。息子の家持は、従姉妹の大友坂上大嬢に 忘れ草垣も繁みに植えたれど醜の醜草言にしありけり 忘れられないじゃないかと、ワスレグサをなじって激しい恋情を伝えました。」とあり、最後に立原道造の『萱草に寄す』から、14行詩「のちのおもひに」の1節が引いてありました。

なつかしいー思わず書庫の奥から、いつか読もうと買ってあった「国文学解釈と鑑賞別冊 立原道造」(2001)と、辛うじて残しておいた『立原道造詩集』(角川文庫14版)を引っ張り出しました。15歳の時に買った文庫本です。もう活字がにじんでいます。「のちのおもひに」は暗誦できるほど読み返しました。中西さんは、「そして私は、見て来たものを(中略)だれも聞いてゐないと知りながら 語りつづけた・・・」という第2節を引いていますが、私は「夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に 水引草に風が立ち 草ひばりのうたひやまない しづまりかへつた午さがりの林道を」という出だしと、「夢は そのさきには もうゆかない なにもかも 忘れ果てようとおもひ 忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには」という第3節が好きでした。

藪萱草は伸び始めた夏草の中から、濃いオレンジ色の花を覗かせます。以前は上智大学の見える、JRの土手に咲きましたが、今はどうでしょうか。春先には芽を摘んで、和え物や天麩羅にします。甘みがあります。立原道造を読みながら初夏の風を感じるロッキングチェアー夢見た老後は、あまりに遠い。  

西行学10

西行学会の機関誌「西行学」10号(2019/8)を頂いたので、読みました。この学会も発足10周年を迎えたのですね。発足した時は、なるほどこういうテーマ設定もあるか、と膝を打ちました。紫式部学会があるのだから不思議ではないようですが、「西行」ほど幅広く、時代やジャンルや方法を超えて探求できるテーマは他にないと言ってもいいでしょう。かつて西尾光一氏が「西行的人間と西行好みの人間」(1969/4)で説いたように、「西行」という名は個人名に留まらず、虚実の区別に囚われず、さまざまな問題をはらんでいます。

すでに多彩な人々が参加し、毎号充実した内容の雑誌ですが、本号にも生誕900年記念事業(2018)、平成13~15年度科研費B報告書(2008)、西行文献目録、和歌山県立博物館連続講座(2018)などの事業の成果が盛り込まれています。私は中でも坂本亮太さんの「紀伊のなかの西行ー地域史から捉える人物像ー」、菊池仁さんの「福島県信達地方の西行伝説ー『撰集抄』最終話との接点を再検証するー」、山口真琴さんの「西行和歌の魅力」、松本孝三さんの「西行伝承のおもしろさー敗北・退散する笑話の主人公ー」などを興味ふかく読みました。

殊に山口さんの、西行は恋愛関係にあるとは言えない対象を詠む際にも恋歌表現を用いる、との指摘、また彼は常に境界に身を置こうとする、との指摘は、隠者の本質を衝くものとして重要だと思います。隠者はどこにも属さない、マージナルマンでありながら、或いはそれゆえに、恋い慕う感情から脱却することができない。西行の花の歌、月の歌は恋歌そのものです。歴史をもの語る作者の心底にも、まさにこの「あくがれ」の破片が、喪われたものへの共感として、深く埋め込まれているのではないでしょうか。

忖度

どうして政府が意固地なまでにGotoキャンペーンにこだわるのか、納得がいかないので、週刊誌を2冊買いました。検査数だけでなく陽性率が上がり、医師会も現場の地方自治体も反対しているのに、何故、この時期こんなにも押し通すのか、毎日接するメディアだけでは分からない、と思ったのです。読んでみて、やっぱりそういうことか、と思ってしまったのが悲しく、情けないー観光利権、仲介団体、五輪レガシー、官僚人事等々の言葉が、朴訥な民をあざ笑うかのように、誌面に踊っています。

この事業は、理屈に合わないことだらけ。実施発表前に予約したのはフライングなのにどうしてキャンセル料を国費で補填するのか、どうして首都圏は一括でないのか、パック旅行以外は割引にならないのは何故か。ほんとうに経済振興のためなら、各自治体に資金を降ろした方がよかったのでは。何よりもその資金を、医療関係者や、いま必要な物資を開発・生産している中小企業へ集中的に注ぎ込むべきではないのか。

感染症予防の基本は隔離と、接触を減らすことです。COVID19の厄介さは、発症2日前から伝染することと、人によって(年齢は統計上の確率の問題に過ぎない)重症化の状態が異なり、抗体のでき方も異なり、しかも抗体の有効期間が未だ判っていないことです。無症状の感染者が大量に、医療体制の整っていない地域へ出かけて行って、燥ぎながら歩き回ったらどうなるか。

不退転の決意を示すのは、コロナ鎮静化対策であって、東京五輪はその結果の後に来ることでしょう。民あっての政治、民あっての国家です。ひょっとして、涼しい顔をしていれば、ウィルスの方で忖度して、自然に、間に合うように収まってくれると思っているのではないでしょうね。

福岡の従姉から、土用なので鰻を買ったというメールが来たので、東京では国産の鰻は高くて買えない、中国産のレトルトパックは安全性がいまいちだし、と返事したら、年1回の鰻も食べられないなんて、と同情されました。西では鹿児島産の鰻が有名です。

関東では、以前は浜名湖の養殖が有名で、養鰻池の畦には縁取りのように松葉菊が咲き、車窓からは印象的な風景でした。しかし病気が発生したり、輸入物の価格競争に負けたりして、今では池は殆ど潰されたようです。駅弁の御飯に乗っている鰻が次第に小さくなり、まるで郵便切手のようになりました。台湾からは水なしで空輸するので、土用の前には、かさかさ音のする段ボールが航空機の貨物室に積み込まれるそうです。

世田谷に住んでいた頃(18年前)、地元のタクシーに乗って雑談中、多摩川の堤に住み着いたホームレスの話が出ました。何を食べているんだろう、と言ったら、鰻でしょ、との返事。冗談かと思ったのですが、ほんとに天然鰻がいて、運転手はついこないだの日曜日にも獲って捌いて食べた、と言う。彼は生粋の多摩川育ちで、鰻捕りは得意だったらしい。詳しい仕掛けの話もしていました。戦時中(肉魚は入手出来ない時代)、二子玉川なら川魚料理が食べられると言われたものだ、と父が話していたことを思い出しました。

埼玉は江戸時代、武士の蛋白源として田圃で鰻を養殖したのだそうで、大学院時代、突然上級生から浦和まで呼び出され、何ということもなく晩秋の田園を散歩した後、鰻屋で食事をしたことがあります。数人のグループでしたが、たった1度きりのことで、後年、偉くなった彼らの名前をあちこちで見るだけです。

名古屋と関東では、鰻の調理法が違うこともよく知られています。ひつまぶしの茶漬はたしかに美味しいのですが、蒲焼はやっぱり江戸前でなくちゃ。

コロナの街・part7

蒸し暑い日が続き、マスクが苦しい。人出の少なそうな時間を見計らって用足しに出かけ、店に入る直前にマスクを掛けることにしました(♪行き交う人に何故か目を伏せながら)。休日には路上に若いカップルが溢れ、夕方には子連れのヤンママが溢れ、この界隈ってこんなに人口密度が高かったかしら、と思うほどです。観察すると、若いカップルはマスクをしない例が多い。未だ関係が安定してないんだな、と思うことにしています。

かかりつけ医が突然廃業した(しかも数日経ってから通知が来た)ので、蓄積されたカルテは貰えないのか、訊きに行きました。インターホン越しの拒絶。やがて終末を看て貰うことになるかもしれない、と思って15年間築いてきた関係はあっけなく無に帰しました。現在は、かかりつけ医経由なしには大病院の診療は受けにくいシステムになったのに、勤務医定年後開業した医者には、地域を担う責任感がない。1からやり直しです。

通りすがりに区立図書館を覗くと、予約制ではないが閲覧席使用は2時間以内、となっています。ここでも前庭で小学生が走り回って賑やかです。校庭開放がないからでしょう。学校は、それぞれの年代の「居場所」でもある、そこでかけがえのない思い出が作られるのだと思います。

大学生が登校させろ、とネットデモをした気持ちはよく分かります。大学生活はオンラインだけではない。しかし都心にある構内、そこまでの交通経路を、全員が「新しい行動様式」で過ごせますか?若さと集団のノリで、つい以前のように押しまくったりしませんか?大学は、(普段意識しないにしても)地域社会の中にあります。

京都に初めて地下鉄が通った時、タクシーの運転手に感想を尋ねたら、「学生が地下に潜って、汚い格好を見ないで済むようになった」という答が返ってきて、吃驚したことがあります(当時はパンクスタイルが流行していた)。京都は学生を大事にするので有名な街。それでも大人の本音は、幼い子供たちを見る目とは違いますよ。