コロナの街・part7

蒸し暑い日が続き、マスクが苦しい。人出の少なそうな時間を見計らって用足しに出かけ、店に入る直前にマスクを掛けることにしました(♪行き交う人に何故か目を伏せながら)。休日には路上に若いカップルが溢れ、夕方には子連れのヤンママが溢れ、この界隈ってこんなに人口密度が高かったかしら、と思うほどです。観察すると、若いカップルはマスクをしない例が多い。未だ関係が安定してないんだな、と思うことにしています。

かかりつけ医が突然廃業した(しかも数日経ってから通知が来た)ので、蓄積されたカルテは貰えないのか、訊きに行きました。インターホン越しの拒絶。やがて終末を看て貰うことになるかもしれない、と思って15年間築いてきた関係はあっけなく無に帰しました。現在は、かかりつけ医経由なしには大病院の診療は受けにくいシステムになったのに、勤務医定年後開業した医者には、地域を担う責任感がない。1からやり直しです。

通りすがりに区立図書館を覗くと、予約制ではないが閲覧席使用は2時間以内、となっています。ここでも前庭で小学生が走り回って賑やかです。校庭開放がないからでしょう。学校は、それぞれの年代の「居場所」でもある、そこでかけがえのない思い出が作られるのだと思います。

大学生が登校させろ、とネットデモをした気持ちはよく分かります。大学生活はオンラインだけではない。しかし都心にある構内、そこまでの交通経路を、全員が「新しい行動様式」で過ごせますか?若さと集団のノリで、つい以前のように押しまくったりしませんか?大学は、(普段意識しないにしても)地域社会の中にあります。

京都に初めて地下鉄が通った時、タクシーの運転手に感想を尋ねたら、「学生が地下に潜って、汚い格好を見ないで済むようになった」という答が返ってきて、吃驚したことがあります(当時はパンクスタイルが流行していた)。京都は学生を大事にするので有名な街。それでも大人の本音は、幼い子供たちを見る目とは違いますよ。