目刺

玄界灘志賀島から干物が届きました。生干しの目刺が入っていたので、さっそく味噌汁の具を買いに行かなくては、と思いました。目刺はやはり、米飯に味噌汁、それに漬物という組み合わせが定番。日来、朝はパン食の我が家ですが、目刺のある朝食は日本の原風景みたいなものでしょう。

かつて行政改革に実績を上げた財界人が、朝食のおかずは目刺だというので、清廉質実の証明つきのように取り沙汰されたことがありました。仕事の場ですぐ近くにいた亡父は、いやしかし夕食には、若い部下でも食べきれないステーキをぺろりと平らげる人だからね、とその実像を描写していました。

一面的な情報には用心が必要です。よく知らない世界の人を、思い込みで仮想敵や味方に数えるのは愚かしい。「経団連」の人たちは古典文学よりも理数科目を学校教育で推進すべきだと考えているかのようなツイートを見かけましたが、いったい、何の根拠があって?財界人の多くは、各国の教養人と話せるために、もしくは政治経済に直接触れずに会話を進めるために、とびきり芸術や古典に詳しい。また、かつてある財界人は、「現場で必要な知識の多くは、学校で学んできてもすでに古くなっている。必要なのはその先の技術であって、それは現場で身につけて貰う」と発言したことがありました。

ひろい視野と応用力、眼前にないものや自分とは異なる立場をありありと想像できる能力、それらを養うのはリベラルアーツです。一面的な思い込みで自説を押しまくらないためにも、ぜひ文学に親しんで欲しい。

木がらしや目刺にのこる海のいろ-芥川龍之介の名句です。遠い玄界灘を想いながら、来春までの昇降激しい長距離ランを完走するぞ、と誓いました。