中世百首歌の生成

野本瑠美さんの『中世百首歌の生成』(若草書房)という本が出ました。序章和歌史における百首歌 1応制百首としての久安百首 2院政歌人の試み 3奉納百首としての寿永百首 4神からの応答「天神仮託歌集」 終章百首歌が生み出したもの という構成になっていて、序章・3-1奉納和歌とは何か・終章をつなげて読んでいくと、単に個別の百首歌の研究ではなく、平安から中世にかけての和歌史を念頭に置いていることが分かります。

かつて、百首歌をやりたいと言って修士課程に進学してきた学生がいて、私は、まず和歌作品をシャワーを浴びるようにたくさん読みなさい、と指導したのですが、理解できなかったようです。和歌の世界には約束事が多く、伝統が厳然とあって、そこから僅かずつ踏み出しているか否かが、作家でも作品でも分かれ目になる、その僅かな踏み出しを感じ取れることが、プロの研究者としては決定的だと考えたからなのですが、私は題を研究するんだから、と言って聞きませんでした。題が分かるには、歌の変遷が分からなければなりません。本書の百首歌研究史を読みながら、あのすれ違いを改めて思い返しました。

本書で崇徳院と久安百首の関わりについて読み、保元平治の世の文化について、ずっと気になっていたことも思い出しました。軍記物語は、戦乱があったから突然生まれてくるわけではありません。和歌や日記や物語、それらを創作し享受し、批評し合う(あるいは個人の心中ひそかに批判しつつ過ごす)場が作用したはず。

門外を承知で言えば―和歌は1首であっても物語としての独立性を備えています。定数歌という方法によって詠歌する際、ふと物語を語る衝動に突き動かされたりする機会が男性にも増えてきて、「物語」が変質していく時代ではなかったでしょうか。