とは言わんけれども

ギャングスタイルで失言を連発する政治家は、「そんなに美しいとは言わんけれども」云々と現外相を持ち上げた(つもりの)発言を撤回したようです。当の女性政治家は「どのような声もありがたく」とかわし、SNSは喧々囂々だったそうで、我が家の購読紙の川柳欄には、「怒らないことを怒られる」と詠んだ句が載っていました。そして今朝の投書欄には、「腹に納めた」「懐ろの深さ」に好感を持った67歳男性と、「受け流すのが大人の女性の振舞」だという圧力を心配する30歳女性の投書が並んで載りました(意図的な配置でしょう)。

私も、失言者の「俺たちから見ても」という上から目線には不快感がありますし、そもそも撤回すればそれでいいのか、という憤慨も持っています。しかしその前に、報道をよく読んでみると、「とは言わんけれども」に続く文脈には、彼女の積極性と能力を、(堂々たるもので美しい、もしくはかっこいい)と賛美する語句がいわば省略されていると思いました。第一、現外相のキャリアを眺めると海千山千、失言太郎に一々取り合っている暇はないだろうと推察しました。それに、底意はどうであれ、自分を推している年長者は、政治の世界でやっていくなら貴重な財産、あの2人は共同体の中にいると見るべきでしょう。他人が差別だ度量だと騒ぐのは、的を外れているのです。

ただ「受け流す懐ろの深さ」が理想とされて、全女性がそれを目指すのは間違っています。私も同様の批判をされたことがありました。しかし普通人の社会では、そういう機会に出くわす度に、一つ一つ土竜の頭を叩いて行かなければ世の中は変わりません。それにもひとつ、太郎は失言を撤回するのでなく、失礼をお詫びすべきでした。親しき仲にも礼儀ありってえのを忘れてた、くらいがせいぜいだとしても。