議員定数

取り消せば無かったことになるのか。そういう疑問をつよく抱くのは、政治家や議員の発言についてです。大事な質問時間に、自分のショーの宣伝をした歌手出身の議員(いや議員兼業の歌手、というべきか)。同僚議員の資金調達パーティで、死刑の判子を捺した日以外はTVにも出ない、と謙遜した法務大臣

殊に後者が不愉快なのは、これが一種の卑下慢であることです。パーティの主人公を盛り立てるため、資金援助をお願いするために、法務大臣になった自分でさえ「目立たない」、資金潤沢ではない、と笑いを取って話そうとした。与党の幹事長は、政治活動の会合で「笑いを取ろうとするな」という指導をすべきだと思います。大臣職に対する自覚、死刑に対する緊張感、法務に関わる多数の人々への慎みを欠いていることは勿論ですが、二重三重にねじれた優越感が堪らなく不愉快です。

ほかにも1度も帰国せず、登院せず、従って国会審議に参加もしない議員を、推薦した政党が放置しているのも理解に苦しみます。つまりは自分たち以外の政党に属する議員を減らすためだけに候補者を選んだのか。安くない経費・報酬を血税から払う議員の定数は、こんな風に埋められたのか。推薦した政党には補償して貰いたいと思います。

「眠れる森の美女」の物語は誰でも知っているでしょう。魔女に憎まれて永遠の眠りに落ちた姫を救おうとしたもう1人の魔女は、「先に出た言葉には、後から出た言葉は追いつけない」と言います。それゆえ姫は、王子が訪れて接吻するまで魔法が解けません。

人の口から一旦出た言葉は、消えて無くなることはないのです。撤回すれば言わなかったこと、にはならない。全人格を賭けて務める職だからこそ、血税から報酬をお出ししています。