巴里の老後

年末に巴里から電話を貰いました。年上の仏蘭西人の友人です。年を取って年賀状を書くのが億劫になったから電話で、とのこと。去年1年の消息、共通の知人の訃報、いまやろうとしている仕事のこと、毎日の日課・・・表示される時間を気にしながら、あれこれ話をしました。

彼女が翻訳し終わった、海をめぐる日本古典文学のアンソロジーは、出版社が留め置いてなかなか出さない、という。どこでも出版不況を口実に、地味な本は後回しになるのでしょうか。白内障が進んで文字を読むのが辛くなったけど、ゆっくり読み直しているのがモンテーニュ、以前とは違う感想があるそうです。弊国で言えば、老後に道元を読むようなものでしょうか。未だ、仕事に関する論文を読破するだけで右往左往している私は、羨ましい気がしました。

毎日散歩している、数えてみたら、巴里市内に自分と同年代で独り暮らし、もうあまり外出できなくなった仕事仲間が8人いるので、時折訪問して話をしてくる、ということでした。訪ねられる方はさぞ嬉しいことでしょう。いま住んでいるマンションにも、かつては働いていた独身の高齢者で、酒を呑める人が3人いるので、時々集まってはお喋りしている、3人ともウィスキーが大好き。貴女は未だ呑めるの?と言われました。それはいいですね、私は呑めるけど量的には見るかげもなくなりました、と返事しました。

彼女は大学を退職後、難民の諸々の法的手続きに付き添うボランティアをやったりしていて、私は感服したものです。今は理想的な老後―それにしても巴里はほどよい規模の街だけど、東京では、老人同士訪ね合うにも移動が難しすぎる。たまに慰問小包を送るくらいが精一杯です。