リンカーンが、40過ぎたら自分の顔に責任がある、と言った話は有名ですが、このところ、TV画面に大写しになる顔にうんざりしています。

愛知3区のオジサン、長崎3区のジイサン、かつて新幹線の駅を自分の故郷に造らせ、駅前に巨大な銅像が建っている人の孫(当時は草茫々だった駅前は、今や工業団地やビジネスホテルが建ち並んでいます)・・・こういう顔が国政を担う選良として、赤絨毯を歩いていたのか、とつい嘆息。顔の造作を云々しているのではありません、その表情、殊にカメラの先には国民がいると知っての記者会見での態度です。平凡な市民生活を送っている我々は、公的な場でああいう表情でものを言うことはまずない。言われる筋合いもない。

記者会見に慣れている人たちー最大派閥の幹部たちは、もう少し表情を制御してはいますが、「お詫びします」と言っている内容をよく聞いていると、じつはお詫びしていない。政治不信を「招いた」ことをお詫びしているのであって、自分たちのやったことがいけなかったとは言っていません。その点ではまだしも長崎3区のジイサンが正直(自分は勘違いしていた、金を集められるのがエライと思っていた、と言っている)です。

野党第一党の党首の顔も、敵失を喜ぶにやにや感が溢れ、この間何をしてきたんだ、と問いただしたくなります。「政権交代」という語は、今の貴方がたには関係ないよ、と。

かつてはたとえ政権を奪取できなくても、この党、この人に1票入れよう、と思う顔がいくつかはありました。真面目な学者だったり、清廉な地方出身者だったり、志ある若者だったり・・・今は与党にも、野党にもそういう顔が見つかりません(あくまで個人の感想です)。しかし我々は、絶望の床に安眠しているわけにはいきません。民主主義を手放さない、その為に何が必要で、何ができるか。