父祖の地

福岡の藤立紘輝さんから寒中見舞の葉書が来ました。年末にこのブログで、彼の論文を紹介しましたが、年末年始は太宰府天満宮で御奉仕するのが恒例になっていて連絡できなかったので、という文面でした。藤立さんは皇學館大学を出て、福岡大学修士課程在籍中に明翔会会員になりました。

通常、神官の資格を取る人は一定期間、神社で研修代わりの「御奉仕」をするのがこの世界の慣行です。神社は初詣がその年の営業収入の大半を占め、後は新生児の宮参り、七五三が補足程度だと聞きました。太宰府天満宮は地域の人出も観光客も多いので、年末年始は大忙しでしょうし、由緒ある行事もいろいろあるでしょうから、貴重な体験でしょう。御奉仕で得た経験や人脈、また先方の評価が後日重要になってくるのはインターンと同じです。我が家の父祖の地博多では、天満宮はただ「太宰府」と呼ばれていました。そろそろ紅梅が咲き始める季節、すぐ近くのメモリアルパークの従兄の墓に父の分骨を収めたので、何だかあまり遠くないような気がします。

葉書には、藤立さんが金沢の出身で、能登は父祖の地であることが書いてありました。ふと、♪ああ誰にもふるさとがある、という歌詞が心に浮かびました。父が博多、母は九段の出身で、湘南生まれ、小石川育ちの私には、ふるさとが無いような気がして寂しかったのですが、若い頃に訪れたり暮らしたりした土地があると、ふるさとを大事に思う人の気持ちを想像することができる、と思いました。

元旦に米国のセリンジャーさんからメールで能登の様子を尋ねられ、答えられませんでしたが、インスタグラムで知ることができたそうで、世界中から思いが寄せられています。

https://www.instagram.com/p/C1mWpjwvIGr/?igsh=Zmd4dXNzdW5lZTA3&img_index=1