九州北部に大雨が降って、梅雨が明ける。それが例年の夏の始まりだと思っていたのですが、近年の豪雨はそんな季節感を通り越して各地に恐怖をもたらしています。昨日あたりから日本海側へと豪雨が移動したようです。
阿蘇山や霧島の火山灰が堆積してできた九州北部は、雨で崩れやすい。半世紀近く前のこと。軍記の研究会の後、各地から来た仲間と居酒屋で談笑していると、長崎は豪雨だというニュースが流れました。長崎から来ていた1人が奥さんに電話し(未だケータイは普及していない時代。店の公衆電話からです)、2度目に戻ってきて、電話が通じないと言う。一瞬、座がしんとなりましたが、どうしようもない。最初の電話で、明日帰宅する際に何か買って行く物があるか、と訊いたら考えとくと言われたので、再度掛けたら通じなかったのだそうです。みんな何食わぬ顔で談笑し続けましたが、いま思うと残酷な時間だったかもしれません。翌朝訊くと、ホテルへ帰って電話したら通じた、とのことでした。
九州は父祖の地。かつて訪れた風景や地元名産の記憶が、地名ごとに蘇ります。久留米は大河筑後川がゆったり流れ、河畔に安徳天皇を祀る水天宮があります。祖母たちにとっては檀那寺のある、やや敬意を籠めて呼ぶ地名でした。田主丸は、毎年従姉が送ってくれる見事な巨峰の産地。小石原や唐津には有名な窯があり、朝倉は「木の丸殿に吾が居れば」の古歌で有名ですが、合併前は古い城下町秋月があり、窯元がありました。耶馬溪へは大洪水の後に文献調査に行き、山国川の威力を見せつけられました。平屋の売店は軒場まで泥水の跡が残っていたのを思い出します。
島根も鳥取も、もともと雨の多い所です。山がちで、岸の低い川が美しい土地でもあります。どうか災害が小さくて済みますように。東京の梅雨明けは未だ遠いようです。