コロナ後の年越し

朝からキャリーバッグを引く音が町内に轟く2日間。街は空きました。年末年始、東京は街が空いて快適になるのが恒例でしたが、コロナの間はそうならなかったのです。今年は帰郷する人、遠い旅行に出る人たちが増えて、東京の人口密度も適正規模になりました。

在留者は買物に忙しい。青葉台に住んでいた頃、年末は、普段自分の街を走らない親父たちが妻に命ぜられて車を出すので危なくって、と友人がこぼしていたのを思い出しながら、私はまず花屋2軒とスーパー2店の店先を見て歩きました。コロナと代替わりとが重なって、近所の花屋がまるで当てにならなくなったからです。結局、大通りの花屋で買うことにしました。南天の木を丸ごと1本買ったので、抱えて歩くのが大変。

食材は少しずつ買い溜めてきたのですが、やはり幾つか買い忘れがある。スーパーへも寄りました。昨日買った慈姑が今日は30%引きになっていて、しまった、と思いましたが後の祭。今どきは慈姑の料理なんて流行らないのか、売れ残ったようです(私は丸ごと焼いて塩を振ります。ちょっと甘めに煮てもよし、素揚げもよさそう)。スーパーのBGMは昨日まで「もういくつ寝ると」でしたが、今日は「春よ来い」になっていました。あちこちで、「よいお年を」と声を交わして帰りました。

門松代わりには松に黄色いフリージアと橙色のカーネーションを添えて、活けました。床の間にはあの南天水仙と淡いピンクのスプレー薔薇を、信楽の甕に活けることにしました。苦心して抱えてきたのに、随分実がこぼれていました(これは明朝、ベランダに来る鵯に提供)。越後獅子を染めた卓布を敷き、丸盆に長野の林檎と山形の洋梨を山盛りにして、車折神社の宝船の絵馬と、宇倍神社麒麟獅子の絵馬を飾りました。

細心の注意を払った所存でしたが、気がつくと、祝箸を買い忘れていました。