阿波国便り・勝占神社篇

徳島の原水民樹さんから、勝占神社の写真が送られてきました。義経屋島合戦を前にして、勝利に因む地名として喜んだと『平家物語』にはあります。

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徳島・勝占神社

屋島攻めの途次、義経が戦勝祈願をしたと伝える勝占(かつら)神社(徳島市勝占町)に出かけてみました。

神殿の脇道は恥ずかし越えという峠に続いているとのことです。恥ずかし越えの名は、義経が山越えの時、髪が乱れたのを恥ずかしいと言った事に由来するとの、珍妙な伝説もあります。また、山中には、義経が座って髪を結い直したという鬢とき岩なるものもあるとか。峠越えは無理でも行ける所まで行ってみよう、と思い立ちましたが、現実は、麓の鳥居から神社にたどり着くのが精一杯、引き返そうかと何度も思いました。

こんな嶮岨な所を通っていたのでは、屋島に着くまで何日もかかるでしょう。】

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義経が詣でたという勝占神社

地元の船頭でさえ尻込みする嵐を衝いて、阿波国へ先駆けした義経が上陸した地の神社です。華々しい逸話の多い屋島合戦ですが、史料が乏しく、また『平家物語』諸本の間で異同が激しく、行程や日付に疑問が多いことから、事実は果たしてどういうものだったか、疑われます。平家軍最後の善戦、それに対抗するヒーロー義経像を演出して、壇ノ浦合戦前夜の見せ場を用意したのではないか、そのため記事が増えたのでは、と私は考えています。芸能との関係も深いらしい(「屋島合戦記事の形成」千明守編『平家物語の多角的研究』 ひつじ書房 2011)。

平家物語』には、未だ未だ謎がたくさんあります。