中世の任官情報伝達

手嶋大侑さんの論文「平安・鎌倉時代における任官情報伝達文書とその公験的機能」(「年報中世史研究」48)を読みました。2度の口頭発表を経て書いたとのことで、要領よく整理されていて分かりやすい。

10~13世紀の任官情報はどのように伝達されたのか、伝達文書はどういう機能を果たしたのかを、『権記』『小右記』『朝野群載』『高山寺本古往来』『吾妻鏡』、また『今昔物語集』や『源平盛衰記』、さらに石清水文書に含まれる除目聞書などの例から考証しています。堅実な分析です。

10世紀以降、「除目の書」や「除書」は地方まで運ばれ、地方で暮らす人々はそれらの文書によって、自他に関する中央での任官情報を知ったらしい。そこには任官結果の一覧と叙位の結果が記されていたようで、平安後期以降は、これと同じ内容(様式は異なる)の「除目聞書」(欠席者に除目の結果を知らせるために作成される速報)が多く残っており(寛弘8年=1011が初見)、史料では単に「除書」と表記される場合もあって、地方へ届くのは寧ろ「除目聞書」が主流になったのではと推測しています。

唐では「告身」という任官文書が本人に発給され、任官証明書の機能も果たしたが、古代日本では叙位の「位記」を以てこれに替えたので、本人に任官通達の公文書は発給されないのが原則だった、しかし「除目聞書」を当事者が手許に保管して公験機能を持たせる場合もあったようだ、と述べています。さらに13世紀後半には、口宣案が任官証明書の機能を果たすようになるという。

軍記物語などに鎌倉の地で「除書」が登場しても、それは「除目聞書」をそう呼んだだけかも知れない、注釈をつける際には注意が必要だと思いました。