太陽族の蓋棺

国会議員と都知事を往き来した老政治家が、89歳で亡くなりました。実行力がありそうだとの期待から何度か記録的な票を集め、異例の言動がしばしば物議を醸し、それが却って人気の源になったりしました。

彼が都知事2期目に入った頃、中学のクラス会に出たら、都庁に勤める同級生が複数いましたが、口を揃えて、この次の選挙では落としてくれ、と言う。上役だろ、いいのか、と訊いたところ、とにかく指示が唐突で、結果の予想がつかないまま追い立てられるのがかなわん、と言うのです。絨毯にぶちまけて有名になった煤入りペットボトルも、目的を知らされないまま俺が作った、と話す人もいました。

しかし今振り返れば、あのペットボトルだけが彼のヒットだったのでは。防災の名目で銀座を戦車の上から敬礼しながら行進した姿は、醜悪で滑稽でした。マッチョというより、単なる目立ちたがり屋だったとしか記憶には残っていません。

芥川賞受賞作はどうも読む気になれずにいましたが、昨年TV放映された白黒映画を視ながら、この作家を自分たちと同じ日本人と考えるのが誤りだと強く思いました。ヨットに乗って遊び回る有閑階級の話、とだけは知っていましたが、同じ頃、同じ湘南地方の小学校に通っていた私たちが(貧困世帯というわけではなかったけど、それでも)どんな生活を送り、何を目指して暮らしていたかを思い出せば、とうてい自分たちの代表として権力の座に据える相手ではありません(一言で言えば、堅気ではない)。

彼の自己顕示欲の結果は、その後も私たちに重くのしかかりました。都立大学改組、新銀行東京設立、尖閣諸島国有化、築地市場移転、東京五輪招致。経費とごたごたを背負って後始末をしたのは私たちです。もう、いい。静かにお休みなさい。