軍記・語り物研究会大会2023①

軍記・語り物研究会大会1日目をオンラインで視聴しました。①薦田治子「平家琵琶研究のこれまでとこれから」、②早川厚一「3つの軍記物語の全釈を試みてーその課題と展望-」という講演2本です。

中世以来当道座の盲僧が伝承してきた平家語りを、実際に語れる人はもはやいなくなるという今、薦田さんは邦楽の演奏家3人と共に保存と復元を試み、演奏活動を続けてきました。耳から伝承されてきた検校の語りに比べ、邦楽風に変化しているのではないかという懸念を我々は持つのですが、薦田さんによれば、平家語り800年の歴史の後半400年は、既に三味線音楽と共にあったという。上方の地唄演奏家、関東の箏曲家(山田流・生田流)で声域の広い人(平家語りは音域が広いので)を選んで声を掛け、検校の音声資料や平曲譜本を通して既存の伝承を学び、すでに語られなくなっている句の復元も試みているとのこと。平家は音楽だ、というのが薦田さんの立場ですが、演奏者たちは復元になると物語内容の表現が気になり、自分の音楽を創る姿勢になるという。頷けました。3人それぞれの背景や個性も演奏に出てくるので、統一すべきかどうか迷ったが、もともと検校たちにも個性はあったのだから、と無理に統一しないことにした、という。これも納得。

楽器の琵琶について、田辺尚雄が1947年に書いた、楽琵琶と盲僧琵琶とは別系統という説が未だに信奉されているが、楽琵琶と平家琵琶はもともと同じ物で、平家琵琶が三味線の影響を受けつつ変化して、盲僧琵琶になったのだと薦田さんは言います。古い盲僧琵琶の形態からも、中世の琵琶法師の絵画資料を見てもそう考えざるを得ない、との説明に納得しました。譜本について、京都大学蔵『平曲正節』は草稿本ではなく、江戸時代の『平家問答書』にあるような、譜本同士を対校して異同を書き込んだ本、つまり『平家正節』以後であろうとの指摘も重要でした。

薦田さんは、音楽は時代によって変わるものであり、時代の要請を受け入れることが必要でもある、という立場に立ち、譜本のみによって継承されてきた津軽藩系の平家語りにも触れました。館山漸之進・甲午父子、その弟子橋本敏江さんたちの語った平家語りです。甲午さんは昭和中期に自らの語りを大きく変えたことがあります。詞章の発音を仮名遣い通りにしたり(当時、源氏物語音読説が流行、古代の発音で読むレコードが出たりした影響だったと、私は思っています)、琵琶の調絃で二絃を半音高くしたりしましたが、それらはあまり根拠のないことだったようです。

以前の薦田さんは、津軽藩系の語りを厳しく批判し、些か困惑することもありましたが、今日の話では、音楽は変わっていくものだし、それぞれの演奏家の芸は聴くに値するものだし、と言うので、ああ実践によって判ったこともあったんだなと思いました。但し、そこから中世の語りが推定できるとは言えない、と付け加えたので、研究として譲らない一線もあるのだと思いつつ、本文研究と同様、語りの研究も、性急に古態、原態を求めてきた路線から、もっと広い沃野に出てきた段階なんだ、と胸が熱くなりました。

9月8日に薦田さんと3演奏家の公演があります。https://heike-katari.com/

講演資料が前以て配信されてはいなかったので、画面共有して欲しかった。講演2本ともその点でオンライン視聴はつらかった。早川さんの講演については改めて書きます。