ブンガワン・ソロ

先週、夕食後にTVのチャンネルを変えてみたら、さきの大戦中に、軍の慰問団として戦地に出かけた歌手の特集番組でした。福岡出身元フォーク歌手の司会がうるさいので、視る所存はなかったのですが、番組最後に藤山一郎が映り、終戦時に歌手たちは現地で捕虜となった、というアナウンスがあったので、思わずボタンを押す手を止めました。渡辺はま子は自ら望んで収容所に留まった、という説明の後、「いつの日君帰る」を歌う映像が流れました。歌詞は甘いラブソングだがリフレインは中国語、こういう形の反戦歌だったんだなと思ったのですが、調べてみると、じつは大変な経緯があったのですね。

藤山一郎インドネシアで捕虜となり、1年後に帰国するまでに現地で覚えた「ブンガワン・ソロ」の歌詞を翻訳、日本で歌ったというような説明があって、吃驚しました。戦地から持ち帰られた歌とは、全く知らなかったのです。子供の頃、流行っていたことはよく覚えていますが、南方の民謡らしい、伸びやかな歌だぐらいの認識しかありませんでした。ジャワ島の大河を讃える歌で、画面の藤山一郎は丁寧に、いかにも故郷を愛する歌らしく歌っていました。

調べてみてさらに吃驚。「ブンガワン・ソロ」は民謡ではなく、インドネシアの大衆音楽クロンチョンで、作者はグサン。日本では松田トシが歌って大ヒット、映画も作られた(市川崑監督が制作会社と対立し、紆余曲折の末に封切りしたらしい)というのです。

そうだったのか!幼年期に体験した、戦中戦後に関わる事柄の真実を知り、今さらながら驚くことが多い。思えば、講談社の出していた少年少女向け雑誌には、山川惣治原案の漫画など、南方侵攻時の名残りがありました。髪に花を飾り、カラフルなロングスカートを纏った南島の女性に、幼い私は浪漫を感じたりしたものです。