木曽川

名古屋に勤めていた頃、NHK-ETVで「古典への招待」という番組の講師をしました。TV放送の強みを活かせるような、ビジュアルで、しかも新鮮な情報を出したいと考えました。長野の真田宝物館に、奈良絵本の平家物語があると知っていたので、撮影に行って、画像を出したい、と担当ディレクターに持ちかけたところ、ロケの話がまとまり、梅雨明け直前に松本で落ち合うことになりました。

勤務を終えてから中央本線に乗りました。たしか夜行列車だったと思います。未だ長野新幹線はありません。夜になり、暗い車窓のすぐ脇を、泥色の木曽川が奔っていました。次第に流れは激しくなり、2抱えもある石が、まるで張りぼてのようにごろんごろんと流されていくのです。車内には賑やかなお婆さんたちのグループが乗っていて、すごいねえ、これが一人旅だったら遺書を書いてるところだねえ、仲間がいるから怖くないけど、と大声で話しています。よっぽど手を挙げて、私は一人旅です、と言おうかと思いました。未明の松本駅前で、カメラマンとディレクターの乗ったランドクルーザーに出会った時はほっとしました。

真田宝物館で、奈良絵本をめくりながらトーク場面を撮影し、弱くはなったが降り続ける雨の中、帰路が心配だからと観光もせずに別れました。出発する際にディレクターが、先生はまたきっとここへ来ますよ、と言ったのですが、慰めだなと気にもしませんでした。しかし予言めいた言葉は、何故か実現することがある。その後、科研費による共同調査でこの奈良絵本を精査しました。あのディレクターは定年前に亡くなり、私が彼の母校に勤務することになったとは、知らないままでした。

水の力は怖い。学生時代に木曽を訪ねた時、たった15分くらいの夕立で、ふつうの道が急流の川になることを体験しました。友人と靴を脱いでぶら下げて歩き、記念の写真を撮りました。