河川

山と川のある町を故郷に持っている人は羨ましい、と思っていました。景色がいいだけでなく、幼年時代から成長につれて思い出が沢山できる。海辺で育つのもいいですが、川辺ほどの変化は少ない。殊に草の中をゆったりと流れる、水辺が近い川は美しい。兵庫の円山川や、久留米の水天宮の傍を流れる筑後川などは、見飽きません。

しかし、一旦洪水になると川辺は大変です。例年、梅雨明け前には九州南部(火山灰の堆積で地盤が弱い)で水害が起きやすいのですが、近年は雨の降り方が尋常でなくなりました。これだけの被害が毎年出るのは、座して見ているべきではないでしょう。

昔、父と一緒に汽車の窓から眺めながら、川の名と共に「○級河川 建設省」という標識が立っているのは何故か、何故建設省(当時)なのか、と訊いたことがありました。必ずしも川の大きさと級数は比例していないように見えたからです。河川の評価は建設省の管轄なんだ、それによって補助金の規模が違うんだ、という返事でした。かつての日本ではダム建設などの治水政策が強力に進められましたが、近年は、大きな利権の絡む国土交通省(旧建設省)のトップはずっと第2与党が占め、それはそれでいいことかもしれませんが、長期的な視点を持ち得ているのでしょうか。気象の変化、住宅地の拡大、住民の高齢化などを踏まえて、国レベルで風水害対策が検討される必要があるのではないか。地震と違って、日本では、風水害は定期的に起こるものだからです。

子供の頃、近くにあったのは馬入川でしたが、危ないから決して近くへ行くな、と言われていました。しかし子供は、親に内緒で確かめに行くものです。行ってみたら、岸辺は深く崩れやすく、水の重量を感じさせる速い流れが、海よりも怖いと思いました。

任期の終わる前、憲法より先に見直すべきは、国土の安全なのでは。