親不孝

最近のTVドラマでは、大団円で子が親に向かって、「お母さんとお父さんの子でよかった」と言う場面が屡々見られ、どうにも違和感があるのですが・・・私だけでしょうか。あんな科白は、親が亡くなってからしみじみ、独りで想うものでは。親ガチャなどという不快な語が流行るのにつれて、わざわざ言う必要が出てきたのかしら。

子が親を選べないように、親もまた子を選べない(但し、そもそも子作りの前に多少の選択はできた)。親子となったのは古い言葉ですが宿命で、いいも悪いもない、それを考えること自体が人間に許された範囲を超えるような気がしてしまうのです。

私だって親への不満(男尊女卑だったとか)はありましたし、親から貰った結核のために、生涯ずっと健康を制限されました。しかし生みの親について、よかったとか悪かったとか考えたことはありません。晩年になって、浴槽の中で自分の身体をしみじみ眺めながら、この肉体は父と母から貰ったのだと考えたことはあります。結核で30代に亡くなった母は、高校時代はスポーツウーマンだったらしく、運動会のメダルが幾つも残されているのを見つけたのは、彼女の死後半世紀も経ってからでした。結核にさえ罹らなければ、と残念に思いましたが、同時にDNAと共に渡された身体は基本的には健康だったことを知りました。父母とも大正のリベラルアーツで育ち、2人の書架が培ってくれた文化のおかげで闘病も切り抜けることができ、つくづく感謝しています。

しかしまた、子は親の圏内からどれだけ遠くまで出て行くか、親の生存中にはもがき続けるものです。それは生物として当然の営み。あの人の子でよかった、と言えるようになるのは、当人たちがいなくなってからです。互いに、ついに口には出さずに終わるものだと考えるのは、親不孝でしょうか。