昭和のお八つ

出雲出身の錦織勤さんと、子供の頃のお八つの話をメールでやりとりしました。

鳥取でほぼ同学年の人たちと、子どもの頃の小遣いが1日いくらだったかという話になり、10円、5円、3円という人がいて、5円ないと和菓子は買えなかった(10円だと、裏まで小豆のついた上等の生菓子が買えた)と言ったら、3円あれば飴玉3個買える、そもそも和菓子なんか買ったことはない、と言われました。意外でした。

親がややフォーマルな形でよその家を訪ねると、必ず和菓子が出るのですが、手をつけずにいると紙に包んでお土産に持たされます。それを兄弟で、どっちがいいか奪い合っていました。私の家では抹茶を飲むことはなかったのですが、そこらの農家でも、日常的に抹茶を飲んでいたようです。作法などとは無関係に、縁側でお茶を点てて飲んでいたと聞いたことがあります。松江の親戚に行くと抹茶が出されて、子どもには苦かったことを思い出します。】

私の幼年時代は生のトマト1個とか、竹皮で梅干しを三角形に包んだものを渡されました。現金や食物は親が厳重に管理し、買い食いは御法度でした。月極めの小遣いを貰えた(¥300だったか¥500だったか)のは、小学校6年くらいだったと思います。

信濃国の友人から来た写メールに【イチイの実や桑の実の甘さが嬉しかった時もありました】とありました。イチイの実はほんのりうす甘く、桑の実はもう少し味が濃い。

常山邸のイチイの木

亡くなった和田英道さんは熊本出身でしたが、お八つには仲間と、笊1杯青梅を叩き落として川の水で洗い、塩を振って食った、と言うので仰天したことがあります。疫痢の多い福岡出身の我が家では、青梅を口にするなんて、死ぬ気も同然でしたから。ワイルドな幼年時代だったんだなあ、と思いました。よい子は真似をしないようにね。