熟柿

母の命日のために花を買いました。墓参りはここ2年行けないまま、せめて自宅の供花を大きなものに、と言ったら、花屋が「そういう人は多い」と言っていました。私が選んだのは、大輪ではないがやっぱり薔薇。白、花弁の縁にピンクのぼかしがある白、珊瑚色のピンク、それに白の大きなアンセリウム。花屋の大将が葉蘭をたっぷりつけてくれたので、洋山窯の白い花瓶に挿しました。

一晩経ったら薔薇が開き始めて、静かだけど優しさと気品のある盛り花になりました。私が物心つく前に亡くなったので、何が好きだったのか知りません。私が勝手に描いた母のイメージに過ぎませんが、命日に相応しい花と思うことにしました。

花のことで頭が一杯で、御供物を買ってきませんでした。好きな食物は何だったんだろう・・・祖母の五十回忌の時、従兄が、あの頃の女の人は好き嫌いを人に言わなかったので、何が好物か判らん、と言っていましたが、ほんとにそうです。伯母は私を空港に見送りに来た時、あんみつを嬉しそうに食べていたので、命日には蜜豆を送ることにしているのですが、母親や祖母の好物を知らない人は案外多い。昭和初期の女たちは、体調の良し悪しや、何が好きで何が嫌いだとかを、家族の前で言う習慣がなかったのです(男もあまり大っぴらには言いませんでしたが、それとなく察しがつきました)。

喉頭結核で亡くなった母が最後まで口に出来たのは熟柿だったそうで、腹ぺこ少年だった従兄は、「この柿とるべからずおばちゃんの」という札を木に下げたそうです。当時、東京ー博多間の列車は24時間立ちっぱなしでした。駆けつけた父の眼に最初に焼きついたのは、門前の枝に残った柿の実の赤さだった、と後年述懐しています。昭和20年の11月、10年目の結婚記念日でした。