昭和24年の初秋、私の一家は湘南海岸で暮らしていました。未だ戦争の跡がそこここにあって、東京は住宅難、母方の実家が持っていた別荘の離れに間借りしていたのです。 近所の子供たちと走り回って遊んでいた時、別荘の裏口には小さな石段があったのですが、ここに上ると海が見えるよ、と誰かが言ったので、どれ?と上って背伸びした途端、ぎくっと背中に激痛が走り、歩けなくなりました。
それが、母(亡くなって4年経っていました)から貰った結核菌による脊椎カリエスの発症でした。全身の指令を司る脊髄を保護する骨が溶けているから絶対安静、と言われて4年間仰臥で過ごし、コルセットを着ければ歩けるようになったものの跳躍は厳禁、爾来、スポーツとは縁がありません。長じてから、医者の言う通りにしていたら何もできない、と気づいて、少しずつ勝手に動きまわり、コルセットもやめたのは大学に入る頃でした。
水泳と自転車乗りだけは出来るようになりたい、とずっと思ってきました。水泳はあの夏、父が小さな浮輪に乗せて海へ入れてくれたきり。60代で水中ウォーキングをしてみましたが、面白いものではない。30代、名古屋に嫁いだ親友のご亭主が、近くの公園で自転車の乗り方を指導してくれたことがありましたが、自分が自転車を持っていないので練習はそれきりになりました。先日、そのご亭主から、あの時、私が手を放しても数メートルは進んでましたよ、と言われましたが後の祭り。荷籠のついた大人用三輪車なら乗れるかなあ、と思ったりもするのですが、コンビニの前などに駐めるのに、都心では邪魔になりそうです。
あの日、顔のあたりまで伸びたコスモスが一面にそよいでいて、1,2輪の花が開き始めていたのを、今でもはっきりと思い出します。海は見えなかったようです。