英語の早期教育

4月6日「英語で論文を書くには」を読んだ知人から、同感メールが来ました。彼女もまた永年英語教育に携わり、中世英文学の翻訳もしてきた人です。許可を得て引用します。

【英文で論文を書くのは、私にとっても今も苦労が大きいです。ブログにあるように、日本語を亜日本語にして、さらに亜英語にしてから英語にするという手順を践みます。亜日本語にした段階で日本語の発想から離れて、英語で考える作業に入ります。人によるのでしょうが、どうも日本語と英語は脳内のチャンネルが違うようで、翻訳しようとすると日本語に拘ってしまって英語に出来なくなります。英語で考えようとすると、まるで子供の発語のようになってしまいますが、慣れると少しずつましになっていくようです。

英語で話すのも日本語の通じないところでは英語でものを考え、英語で話せますが、咄嗟に日本語が出てきません。その逆も同じです。1年ほどイタリアにいましたが、成田に着いた途端イタリア語は遙か忘却の彼方。でもこの間、「丘の上の本屋さん」というイタリア映画を見たとき、イタリア語がすんなり頭に入ってくるので吃驚しました。】

私も博多で親族と話していると、いつの間にか博多弁になっているのですが、東京で喋ってみろと言われてもできません。言語は身体が覚えるものらしい。

【何語であっても外国語の上達度は、母国語の上達度に比例するものです。日本の子供たちが、日本語をおろそかにして英語を学ぶのは不合理です。まずしっかり日本語を勉強してほしいと思います。外国語は英語だけではないこと、英語の通じない世界がいっぱいあることも知ってほしいです。子供に英語を学ばせたいなら、成績はつけないほうがいい。成績評価のための客観テストは、英語嫌いを増やします。】

そうか、小学校段階の英語には評点をつけない、という方法もありかも。