和田琢磨さんの「西源院本『太平記』の基礎的研究ー巻1・巻21の書き入れを中心にー」(「国文学研究」190)という論文を読みました。西源院本ははやくから『太平記』の古態本として重んじられてきました。昭和4年に火災に遭い、一部が読めなくなり、忠実な写本といわれる史料編纂所の「影写本」(大正8年写)で代用されてきました。最近出た岩波文庫の底本もそうです。
和田さんは、現在京博に寄託されている原本を調査し、史料編纂所の「影写本」はじつは臨模本で、しかも巻によって書写の態度が異なることを指摘しました。原本には多様な書き入れがあり、本文の書写とは別筆の墨、朱、見せ消ち、胡粉による塗りつぶし、異文表記、圏点など、殊に巻1と21に多いが、それらは必ずしも史料編纂所の「影写本」に忠実に引き継がれていない。本文の中に取り込まれて混態現象を引き起こしているもの、削除されてしまったものなどがあるとしています。その結果、原本の書き入れは南都本系統によるものであり、史料編纂所本によったのでは原本を再現することができなくなっていると指摘しました。最後に、使用可能な西源院本の本文は、織田本を底本として校訂を加えて作る必要があると提言しています。
身につまされました。本文作り、研究の基礎となる本文の吟味の段階が変わりつつある、ということです。『平家物語』研究でも似たような状況があります。先学の作った校訂本文もしくは翻刻で作品を論じて疑いを持たなかった時代から、物として伝わってきた本を精査し、古人の遺した媒体を正しく評価する作業が前提になる時代へ。特に書き入れは、本体の書写とどう関わっているか、その多層性を、冷静に見なくてはいけない。古人には古人の事情があって、書写活動をしているのだからです。