太平記読みと語り物

最近、学会誌上で、太平記を「読む」こと、「太平記読み」、太平記が初期から語り物であったとする説等々が混同されているふしがあるように思える言説に接し、私が理解している「太平記読み」とは違うな、と不安になり、この分野の専門家である今井正之助さんに、教えを請いました。①いわゆる「太平記読み」とは、太平記そのものの講釈も含むのか ②『太平記理尽鈔』講釈は民衆相手にも行われたのか ③太平記は語り物、という言い方は正しいか、と。今井さんからは参照すべき資料を丁寧に挙げた返信が来ました。あまりに綺麗に整理されているので紹介します。@は今井さんのコメント。

[参考・亀田純一郎「太平記読について」(国語と国文学8-10、1931/10)

   ・加美宏A『太平記享受史論考』(桜楓社、1985年)

   ・加美宏B『太平記の受容と変容』(翰林書房、1997年) 

太平記の語釈等に主眼を置いた例への言及

太平記理尽抄由来書』(尊経閣文庫蔵。宝永四年1707有沢永貞著) 

厳島野坂文書』中の「山城守就長書状」

(加美A246P。加美B108P。最初に増田欣氏が『解釈と鑑賞』1981/5で言及) 

@私は近世の舌耕芸とは直接の関わりはないと考えています。従って、加美氏が「確実に近世舌耕芸としての太平記講釈のことを指して、「太平記読み」の語が用いられている、最もはやい事例は、前記三浦家文書中の『家乗』貞享三年(一六八六)八月~九月条にみえる、太平記読み宇都宮彦四郎に関する記事ではなかろうか」と判断するのは妥当といえましょう。 

②理尽鈔講釈は、近世初期、大雲(運)院陽翁がその弟子(大名を含む)に行った。

@彼らを「太平記読み」と呼んだ例は見あたらない。若尾政希氏も「民衆相手の太平記読みと区別して、『理尽鈔』講釈及びその講釈師を「太平記読み」と括弧をつけて呼ぶことにしたい」と断っている(『「太平記読み」の時代』平凡社、1999年。40P)。 

③(主に民衆相手の)舌耕芸に関する資料は以下の通り。@1,2は理尽鈔講釈との関係は不明。3は、理尽鈔講釈の亜流。

3ー1,紀州三浦家文書中の『家乗』貞享三年1686八月二十八日条・貞享三年九月二十四日条の欄外書き入れ。

3ー2,『人倫訓蒙図彙』巻七(元禄三年1690刊) 

3ー3,『本朝世事談綺』巻五(享保十九年1734刊)

@なお、中世以前の事例は「太平記を読む」という行為そのものの記述で、読み手を「太平記読み」とは呼ばない(と思います)。(今井正之助)]