ともがみな

石川啄木に、「友がみな我よりえらく見ゆる日よ」という歌があります。時々そういう気になって、落ち込んだり焦ったりする日があるものです。老後にはないかと思っていましたが、そうはいかない。日本史専門の友人から、いまマルクスを読んでいる、とのメールが来ました。

【定年前には、退職したら、時間がなくて読めなかった本を読もう、と思っていました。といっても、まったく知らない分野に手を出す、というほどの覇気はなくて、むかし読んだことがあって、もう一度よく読んでみたいが、それを読んでいる時間はない、といったような種類の本のことです。

若いころ、マルクスは読みかけても、すぐに飽きてしまったのですが、なぜかウェーバーは、よく分からないけど、面白いと思いました。『社会学の根本概念』という、一見、無味乾燥な概念の説明の連なり、としか見えないものも、面白いと思いました。『一般社会経済史要論』という、翻訳文がこなれていない(と思いました)難しい本も、読み終わると感動しました。教養部時代のことで、もう一度読んだら、もうちょっと分かるかも知れないという気持ちがあって、それがずっと心の片隅にあったのだと思います。】

アメリカ文学専攻の友人は、オンライン読書会でフーコーを読んでいて、最近の政府のコロナ対策を見ていると、ぼーっと生きている国民を「教育」するためにわざとドジをやっているんじゃないか、と思ってしまう、と言ってきました。

80代のフランスの友人は、モンテーニュを読み返しているそうです。これはいかにも老後の読書に相応しい。

さて私はといえば―ビオラの苗でも買いに、花屋へ行くとするか。