先立たれると

花鳥社の社主橋本孝さんから、喪の挨拶が来ました。夏に老猫クーが虹の橋を渡り、奥さんが黄疸を発症、胆管癌の末期だったことが分かり、医療センターで病状を和らげた後は、自宅で息子さんと一緒に看取りをしたそうです。

しみじみとした文面なので、本人の許可を得て一部を引用します。

【退院後は自宅をホスピスとして倅と介護ができました。ケアマネージャーさんとともに、介護士、看護師、薬剤師、訪問医の方々のプロジェクトチームで、朝夕の排泄の世話からよく尽くして下さいました。感謝でいっぱいです。

食べられなくなると、口移しに果物やクッキーなどをやっと食べてくれました。

ただ、進行が早すぎてこちらの気持ちがついていかないままに逝かれてしまったことで、まだ実感として不在が納得できていません。

四十九日も終えて、これから前を向いて倅と一歩ずつ歩んでいきます。(橋本孝)】

看取る方にとっては、いつであっても、早すぎる旅立ちです。残される方は、未だ明日がある気持ちでいる。明日も、明後日も、もう数日は・・・。

橋本さんは笠間書院の社主亡き後、編集長として国文学の版元を支え、定年後花鳥社を興しました。文学青年のまま白髪になったような雰囲気が、多くの著者たちから愛されてきました。家族思いで、年賀状にはいつも愛猫クーの名も並んでいました。

社に電話したら、「75歳になったのでめっきり老けて見えるのか、今日も電車の中で、明らかに年上のお婆さんから席を譲られてショックだった、固辞した」と言うので、後期高齢者になったらそういう時は、御礼を言って座るのが功徳になるんだよ、と説教しました。相手は、あたしの方が未だ元気だ、と思って譲っているんだから。