山城便り・翡翠篇

京都郊外に住む錦織勤さんから、写真つきのメールが来ました。

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山科川カワセミ

【土曜日に、ちょっとした幸運に出遭いました。
これまでも、家の近くの山科川で、年に数回程度ですが、カワセミを見かけていました。先週は2、3度見かけたので、ひょっとしたら、と思って、自転車で出かけるときに、胸ポケットに入るぐらいの小型デジカメを持っていったのですが、幸運にも目の前にいて、写真が撮れました。カメラは10年以上前の古物で、しかも近年は使ったことがないせいか、発色がよくないのですが、一応、カワセミと判る程度には写っています。
家から1.5kmぐらいのところで、田舎ではありますが、深山・渓谷ではありません。伏見稲荷の裏山に棲んでいるようなので、それが飛んできたのだろうと思います。
山科川の土手には、高級な望遠レンズ付きのカメラを持った、私より年配の男女を毎日のように見かけます。多分、カワセミ狙いだろうと思われます。(錦織勤)】

なるほどソフトフォーカスですが、カワセミです。近年は鳥の棲息・営巣地にも変化が起きているようで、深山幽谷の鳥だと思っていたセキレイイワツバメが地方都市のビルの谷間で見かけられたりするようです。その代わり、以前は世田谷でも小石川でも庭先にやってきた鶯を、もう何年も聞いていません。

ちょうど必要があって、源平盛衰記の巻43を熟読した後だったので、京都から奈良へ向かう道筋を思い浮かべました。無間地獄に堕ちる死を覚悟した平重衡が歩いた道です。川筋は変わったかもしれません。調べると、京都周辺は度々、大がかりな治水工事が行われてきたのですね。東京ではあまり意識しませんが(水不足はときどき言われるけれど)、古来から王都は、水を支配できなければならなかったのです。