金銭出納の記録

東京2020五輪をめぐる贈収賄、今更ながら呆れるのは、スポンサーその他五輪関係の業務担当が選ばれた経緯は、公表されず記録もされなかった、いやその前に誰からも審議されなかったのだということです。使われたのは公金、その源は血税です。当然、これこれの候補を吟味して、これこれの理由でこの業者に決まった、決めた責任はどこどこ、という記録があるものだと思っていました。

我々が科研費を申請して採択された時は、国民の血税によるのだからという注意書きが来て、詳細な見積もりと決算報告を求められます。同じ血税なのに扱いが違うのはどうしてなのか。血税を払った方としては納得がいきません。今回の立件ではユニホーム、イメージキャラクター、プログラムなど、目に立つ象徴的な物を手がけた企業がクローズアップされたところから見ると、これは氷山の一角に過ぎないという気がします。

公金に限らず仕事に関わる金銭の出納は、記録しておくのが社会人の常識ではないでしょうか。記録できない出納に基づく仕事は、すでにいかがわしい。オリンピアンたちは平気ですか?

いま話題を呼んでいる、月収の3割を超える献金は記録する、という宗教団体の理屈もよく分からない。3割が多いか少ないか、月収を申告するいわれは何かなどという以前の問題です。貰う方が金額を決めて要求したら、それは何かの「対価」ではないのか。領収書を出すべきでしょう。おこころざしで結構です、と貧者の一燈を有難く頂くのが、宗教者本来の姿勢だと思うのですが。

金銭に対する姿勢ほど、人品骨柄を顕すものはありません。そして慣れによって侵されやすいものでもあります。崇高な理念を掲げるならまず、金銭出納の厳格な記録を。